2666

  • 白水社
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本棚登録 : 860
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  • Amazon.co.jp ・本 (880ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560092613

作品紹介・あらすじ

謎の作家アルチンボルディを研究する四人の文学教授、メキシコ北部の国境の街に暮らすチリ人哲学教授、ボクシングの試合を取材するアフリカ系アメリカ人記者、女性連続殺人事件を追う捜査官たち…彼らが行き着く先は?そしてアルチンボルディの正体とは?2008年度全米批評家協会賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 原著は2004年に作者死後出版され、当時はボラーニョ(2003年50歳で死去)なんて名前知らなかった。
    邦訳が2012年に出版されたときにSNSで祭りのようになって、手に入れながら積読にしていたのを10年越しに、一週間読書くらいしかできることがないのを好機を見做して、読んでみた。
    鈍器並みの分厚さにも、読了は大変という口コミにも、圧倒されていたが、実際に読み始めてみたら意外とサクサク読み進められた。
    難関と言われている「犯罪の部」も、てんでバラバラに記述されているわけでは決してなく、数名の軸となる人物が設定されているので、読みやすかった(時間さえあれば)。
    夢野久作「ドグラ・マグラ」の「キチガイ地獄外道祭文」も難所難所と言われる割には結構読みやすいのと同じく、一度リズムに乗れば大丈夫。

    wikipediaの概要とあらすじ、
    藤ふくろう氏による ロベルト・ボラーニョ『2666』wiki という scrapbox、
    https://scrapbox.io/RobertBolano2666/
    同じくscrapbox の robertobolano2666、
    https://scrapbox.io/robertobolano2666/
    を事前に用意して、つまずいたら調べられるように構えていたが、その必要まったくなく。
    一気読みするぶんにはむしろリーダビリティの高い小説だと感じた(時間さえあれば)。
    以下箇条書きで。

    ・「批評家たちの部」は謎の作家アルチンボルディの批評家に見せられた人々を描くが、フランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」(ジュールとジム)を思い出した。男性3人対女性1人(リズ・ノートン)のサークルクラッシャー。
    ・文化人ってややこしいなー。3Pセックスをする男性ふたり(ペルチエ、エスピノーサ)は、なんか読んでいて厭だなー。
    ・オクテの車椅子(モリーニ)とだけわかりあえたきっかけが、腕を切り落とした画家について、という点は、少し興味深い。好きで繋がった数名の中でも、さらに異なる好きで共鳴するあたり、サブカル界隈を思い出さざるをえない。
    ・「アマルフィターノの部」は、ロラの奔放さが、いい。突き抜けていて好きになる。
    ・頭がおかしくなる過程で、本を洗濯バサミで……(マルセル・デュシャンのレディメイド)、というのも映像的で印象深い。
    ・「フェイトの部」は、ジョーダン・ピールっぽいな、とイメージしていたら、作中で「スパイク・リーのクソ野郎」とか書かれていて、笑う。急遽穴埋めで入ったボクシング取材をを離れて、街の不穏さに気づくあたり、デヴィッド・リンチ「ツイン・ピークス」っぽいなと感じ始めていたら……。
    ・「犯罪の部」は、もとに「ツイン・ピークス」の、しかもつるべ撃ち! ときた。
    ・ここで振り返るに、1部から3部までは遠くからサンタテレサという街に向かうというベクトルが別個に描かれた上で、4部でサンタテレサに入り込んでみたら、世界で最も治安が悪い街に叩き込まれてしまった……と圧倒されてしまう。みながサンタテレサへ集まってくる構成はなんだか「ドラクエ4」っぽいなと思いきや、1から3章までの人物たちは特に取り上げられることなく、ただ淡々と事件を記述していく。ここにおいて例えば友成純一や平山夢明のように女性殺害の場面を描写、せず、乾いた事後報告を積み上げていく点に、作者の美意識を感じたりも、した。
    ・これまでは空間的に遠くからサンタテレサへ向かっていたが、最終部「アルチンボルディの部」では、時間的にも空間的にも遠い第2次世界大戦前夜から話が始まる。皆川博子の重厚さと、挿話羅列の圧倒性を感じた。【ネタバレ注意】少年期に身分差のあった友人フーゴ・ハルダーを経て、そのイトコのフォン・ツンペ男爵令嬢こそが、後にブービス夫人として現れるところとか、皆川博子っぽい。ここにおいて「批評家たちの部」と円環をなしてゴツい本を読んできたカタルシスが生まれる。また、「犯罪の部」で逮捕されたクラウス・ハースは、本名ハンス・ライター筆名アルチンボルディの、妹ロッテの子供、という件も、ぞわっと。あーアルチンボルディがサンタテレサに来た理由ってこれなんだな、彼を追って批評家たちも来たんだな、とカタルシスを得て読み終えたが。

    ・が、以上のようにまとめることができた事柄が、果たして作者が書きたかったことかといえば、全然違うと思う。
    ・むしろ場所も人物も時代も社会背景も描いた上で、描かなかった空白部を浮き上がらせることが、作者の意図なのだろうと思う。そこはわかる。
    ・バキュームされた後の真空のように、ブラックホールのように、言及しなかった物事……暴力の実相とか、人類が残した大量殺戮の痕跡とか……がぽっかりと浮かび上がるような書き方をしているのではないか。
    ・ゲルハルト・リヒターの「ビルケナウ」も連想。指示や直喩や隠喩ではなく「換喩」として暴力を描くと、書かないことで書く、隠すことで露にする、ような表現になるのかと思う。
    ・だが、個人的にはそこまで熱狂できる小説では、なかった。残念。よかった! 楽しかった! とまったく言えず、むしろ読むことでエグられた自分の身体部分がまだどこなのかよく判らない呆然とした感じ、だけが残っている。面白かったと一言で片づけることはできない、かといって自分の人生の重要な部分になるだろうと胸張っていえるほどの理解もできてない、なんだか草臥れた、厄介な読書経験になった。

    • 淳水堂さん
      knkt09222さんこんにちは

      この勢いでボラーニョ長編『野生の探偵たち』もぜひ!
      knkt09222さんこんにちは

      この勢いでボラーニョ長編『野生の探偵たち』もぜひ!
      2022/10/19
    • knkt09222さん
      淳水堂さんへ
      次は何にしようかなと迷っていたので、『野生の探偵たち』に決めました。
      コメントありがとうございます。
      淳水堂さんへ
      次は何にしようかなと迷っていたので、『野生の探偵たち』に決めました。
      コメントありがとうございます。
      2022/10/19
  • 850ページ以上もある分厚い(6センチ)本。
    しかも二段組み。
    2013年本屋大賞翻訳部門ノミネート作品。
    本屋さんって結構重労働なのに、この、物理的に重量級の本を読んで感動できる心身の体力に感動しました。

    作品は5部に分かれています。
    ・批評家たちの部
    ・アマルフィターノの部
    ・フェイトの部
    ・犯罪の部
    ・アルチンボルディの部

    核になるのは謎のドイツ人作家アルチンボルディの存在と、メキシコの女性大量殺人。
    それはわかるのだけど、この二つのつながりは、最後の最後になるまでわからない。

    批評家というよりも研究者の部。
    謎のドイツ人作家の研究をするのは、イギリス人、フランス人、スペイン人、イタリア人の大学教授たち。
    しかし作品以外にほとんど痕跡を残していない作家の研究なんて、直感的な偏見以外の何物でもない。
    っていうか、マニア?
    もしくは狂信的な信者?
    そのうえ彼らの恋愛事情なんて、全くもって興味ないぞ。
    それでも彼らはアルチンボルディの正体を探しにメキシコへ行くのだ。

    第2部の語り手であるアマルフィターノは、メキシコで教鞭をとっているチリ人で、スペインの大学からメキシコの大学へ、娘を連れてやってきた。
    そして、第1章の研究者たちとともに、アルチンボルディの行方を探す。

    第3部の語り手はアメリカの新聞記者、フェイト。
    人手不足のため、畑違いではあるがボクシングの取材のためメキシコを訪れる。
    その地サンタテレサではもう何年も女性が殺され続けている。
    フェイトはその事件の容疑者にインタビューする予定の女性記者と知り合う。
    そもそも何年も前に容疑者は逮捕されているのに、事件は途切れることがないのだ。
    それが、メキシコ。
    ここでフェイトは、成長したアマルフィターノの娘とも出会う。
    奔放な彼女の姿に、不穏な気配を感じてどきどき。

    そして一番ボリュームがあるのが、第4部の犯罪の部。
    延々と女性が犯され、殺される。
    それは時に痴話げんかの果てだったり、家族のいざこざだったりもするけれど、明らかに同一犯によるレイプ殺人被害者の遺体が、ごみ集積場や道端や廃屋で次々に発見される。
    鑑定にかけられた遺留品は行方不明になり、事件の謎を追うマスコミ関係者や捜査担当者もいつの間にか姿を消す。
    犯人として逮捕された男は何年も無実を訴え続け、その間も事件は繰り返される。

    複雑な迷路図を確実に解く方法。
    それは、行き止まりの道を塗りつぶしていくことだ。
    そうすることによって、たった1本の正解の道が白く浮かび上がってくる。

    この本を読んで感じたことは、それだ。
    いくつもの行き止まりの道筋を読んでいくことによって、そこに書かれていないことが浮かび上がってくる。

    難しいことはひとつも書いていないが、とにかく長い。
    そしてパーツが複雑に組み合わさっているために、全体像をつかむのが難しい。
    何度も立ち止まり、現段階の全体を眺めまわし、見える景色と見えない景色を確かめながら読んだ。
    これを本屋大賞に推した本屋さんに感動だよ。
    自分の読書に精いっぱいで、他人に勧めるなんて私にはできない。脱帽。
    多分今年一番の濃密な読書でした。

  • ふー読み終わった。マラソンを完走したような富士山に登ったような、「やりきることに意味がある」状態になっていた。
    非常に評価が高い本作、2段組で800ページ、厚みが5センチ、原書は1,000ページを超えるという大著であり、読む人を選ぶ。しかもリーダブルではない、難しい。読むのが愉しいとかぐいぐい読めるとかでもない。楽しんで読んだとはとても言えない。ただ、このスケール感と巨大さは稀有。ドストエフスキー的な総合文学といおうか、歴史に残る文学ではないか。読み終った者だけが味わえる充実感がある。
    「2666」は何についての話なのか?複数のプロットが並走し、多量の人物が登場する。アルチンボルディ研究者達の恋物語(読みやすい)、デュシャンのレディメイドを実践する男(難解)、殺人事件に興味を持つジャーナリスト、連続殺人事件(カタログのようにレイプ殺人とその他の殺人がずらりと並べられるグロテスクなドラマ)、アルチンボルディの人生(細密な戦争描写)・・・
    これらのばらばらのプロットがひとつの核に向かって大きく収斂していくのかといえば、そうでもない。アルチンボルディのメキシコ行きなど一部の輪は閉じられるものの、多くの枝葉は外に伸び行くままだ。また、後書きで比較されている白鯨のごとく、内包されたエピソードが独自に発達していく。ひたすら「読む」「読み込む」ことを読者に求める。
    たまねぎの皮をむくように、「核」に目を凝らしても、そこには空白がある。しかしここで繰り広げられている膨大な「読み物」の間を彷徨いながら壮大な世界を旅するべし。
    いやしかし、私はその境地には到底到達できなかった。再読しなくてはいけないのだろうが、富士山にもう一同登るモティベーションがまだ起きないように、容易ではない。

  •  二段組み855Pの長編小説。著者ロベルト・ボラーニョの遺作であり、それぞれ独立した五部で構成されている。ただ、どの部も完全に独立しているわけでもなく、謎の作家アルチンボルディ、彼の痕跡の残るメキシコの街サンタテレサ、というワードで緩く繋がっている。
     ものすごい小説だった。長さにしても内容にしても。著者の脳味噌を裏返し、記憶や体験を全部本に塗りたくったような印象。こういう小説を書いて死んでいったのなら、小説家として大往生と呼べるのだろう。というか、これを書いてしまったら、この後に何を書けるというのか。
     一部:批評家たちの部。話が動き出すまでが少し長いのだが、アルチンボルディの研究者四人の関係が恋愛絡み(四人のうち唯一の女性であるリズを巡って)でギクシャクしてくると面白くなってくる。更に、ロンドンで起きるタクシー運転手とのいざこざが不穏な空気を醸し、アルチンボルディを追ってサンタテレサに行き着く頃には、何だか徹夜した時のようなフワフワした落ち着かない気分になる。印象深いのは、舞台がサンタテレサに移った後のリズからメール。これがあることで話の風通しがよくなっている。ただ、その風通しも、爽やかというより空しい気分になる。
     二部:アマルフィターノの部。一部の最後の方に出てきたサンタテレサに住む教授アマルフィターノの話だが、著者の知識や思考がそのまま溢れている気がする。作家や哲学者の名前が多く出てくるし、痛烈なメッセージがはっきり示されている。特にラストの薬剤師の出てくるシーン。今や教養豊かな薬剤師でさえも長編小説を読まない、彼らは巨匠の完璧な習作を選ぶ、彼らは巨匠の剣さばきの練習を見たがっている、血と致命傷と悪臭をもたらす真の闘いのことを知ろうとはしない、そういったメッセージ。長編をあまり読んでこなかった私としては結構ガツンときた。
     三部:フェイトの部。記者のフェイトの視点によって、サンタテレサの現状が語られる。四部への繋ぎといった感じで、そこまで印象に残らなかった。
     四部:犯罪の部。おそらく本書で最も濃い部。怒涛のように女性の惨殺死体が湧き出し、それをルポタージュのように淡々と記録していく。そこから滲み出てくるメキシコの乾いた狂気、地元住民の生活があまりにも生々しい。記録の合間に挟まれる様々な人物のストーリーが、これが小説だということを思い起こさせてくれる。教会で小便を漏らす不届き者、テレビ番組に出演する千里眼の聖女、どこか寂しげな女性院長、一連の事件の犯人とされて刑務所にぶち込まれるコンピュータ技師、増える死体に振り回され続ける警察、村人の中から警察に手下として選ばれた少年など。ただ彼らは結局のところ、誰一人として事件の真犯人に辿り着けない。そして未解決のまま四部は終わる。この事件には元ネタがあるようだ(メキシコのフアレスという街の女性連続殺人事件)。こういった事件の真相とは一体何だろう。当たり前に推測できることは、一つ一つの殺人事件が無関係で、それぞれ別の何十人もの犯人がいるということだ。それをもっと押し進めると、最終的に著者が言いたかったことは、渾沌が更なる渾沌を巻き込む、その渦そのものが犯人だということではないだろうか。そして渦とは、犯罪を客体として定義したもののみならず、犯罪を見ている主体の視線を含んでいる。つまり、延々と語られる事件に統一性をもたせている、我々、読者の視線だ。
     五部:アルチンボルディの部。ここに来てようやくアルチンボルディの人生が語られる。ハンス・ライターとして生まれた彼が、いかにしてアルチンボルディを名乗るようになるか。何と言うか、すごく濃密な人生だなと感心した。彼の好きな海藻に関するエピソード、男爵の甥との会話、戦争、作家への道、妹の話、そして彼は飛行機でメキシコへ行き、長きに渡る話の輪が閉じる。個人的に印象に残ったのは、おそらく著者自身の、文学そのものへの哲学的な考察。正直、読んでもあまり正確には理解できない。作家の生み出すものはほとんどが盗品であり、その盗品の森の中にはかならず何かが隠されていて、その隠されたものと盗品の間には相互補完的な関係があり、隠されたものは永久に明かされることはなく、だからこそ人々の目を引きつけ、その需要により盗品は再生産され続けるのだ、そしてこの「2666」自体もそんな真実を隠している森の一つである、というようなことだろうか。解るような解らないような。

  • 読み終えた後一息ついて、はてどんな感想を述べたらいいものかとしみじみ思う。いや、別に感想を述べねばならないということでもないのだけれども。
    この本は2段組であとがきと解説を抜いて850頁というかなりの大著であるにも関わらず、比較的するすると読めた。が、そのあらすじを説明するのは容易ではない。

    全体で5つのセクションから成っていて、それらが互いにつながり、はたらきかける。それぞれのセクションが独立しているとも言えるけれど、共通して登場する人物・背景があるので読み進めていくと後々色々とつながることが出てくる。
    しかし、埋め込まれている情報があまりにも膨大。実在の文学作品についてはもちろん、映画や音楽、料理や健康の話などを登場人物に語らせている。そこではおそらく筆者であるボラーニョの批判的意見も展開されているのだと思う。

    5つのセクションではそれぞれ個々の面白さや特殊さがあるのだけれど、とりわけブッ飛んでいるのは第4部「犯罪の部」。5つのなかで最もページ数がさかれているのがこの4部なのだけれど、とにかく女性がレイプされて殺されまくる。1頁毎におそらく2〜3人は死んでいく。しかもその記述は事典の項目のようにひたすら羅列されていくものだから、「あれ?俺は何を読んでるんだ?」という感覚にすらなってしまう。
    この犯罪というのは実際にメキシコで現在進行形で起きている事件をもとにしている。「シウダー・フアレス連続殺人」は今も犯人が捕まっておらず、被害者は増え続けている(〈マキラドーラ〉という多国籍企業下の製品組み立て工場の女工がレイプされて殺され、砂漠に捨てられるという連続殺人事件。こちらも参照:http://garth.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/2666-c7b5.html)。

    数多のモチーフと、少なくない数の登場人物、実在の作家や同年代の作家についての多くの言及を含んだ物語が架空の作家アルチンボルディを巡ってはじまる。凄惨な殺人をクールに描写したかと思うと、詩的で美しい情景を目前に広げてくれる(ちなみにメキシコの街の雰囲気はイニャリトゥの映画作品を勝手に脳内であてはめていた)。
    正直一読して「わかった」と言うことは(少なくとも俺には)とてもできない。この文章を書いている今も「どのようにわからないのか」について考えている。
    でも面白い。それは確かなことだ。

  • A5版二段組855ページというボリュームを持つ超巨編。かなり無理して要約すれば、ベンノ・フォン・アルティンボルディという小説家をめぐる物語といえよう。作家は亡くなる前に全五章に及ぶ長編の一章を一巻とした全五巻の形で刊行するよう家族に言い残したという。

    たしかに、ロレンス・ダレルの『アレクサンドリア四重奏』を想像してもらえればいいと思うが、あのスタイルで刊行されても特に問題はないように思う。一章がそれぞれ異なる話題や人物、それにスタイルを持って独立した小説になっているからだ。

    第一章「批評家たちの部」は、ノーベル賞候補作家の一人にあげられながら人前に姿を見せないというトマス・ピンチョンを思わせる作家アルティンボルディの研究者四人が主人公。英仏伊西に住む女一人、男三人の批評家たちの三角関係ならぬ四角関係を都会的な恋愛小説風に描いた音楽でいう導入部。読者を小説の主たる舞台であるメキシコはソノラ州にあるサンタ・テレサという町に導く役割を果たす。

    続く第二章「アマルフィターノの部」は、第一部の最後で批評家たちを待つメキシコ在住のアルティンボルディ研究者であるアマルフィターノが視点人物。別れた妻との関係や残された娘との生活を描く合間に、チリ人である自分が哲学教授としてサンタ・テレサで教鞭をとる意味についての自己省察が混じる。

    第三章「フェイトの部」は、がらりと印象が変わって主人公はアフリカ系アメリカ人の記者フェイトが主人公。文化部の記者としてブラック・パンサーの伝説的人物をインタビュー中、死んだスポーツ記者の代わりにサンタ・テレサで行われるボクシングの観戦記事を書くことを命じられ、当地を訪れる。フェイトはそこでメキシコ人記者と付き合っているアマルフィターノの娘と出会う。

    第四章「犯罪の部」は、サンタ・テレサとその郊外で多発するレイプ殺人を追う捜査陣をドキュメンタリー・タッチで描くクライム・サスペンス。二百とも三百ともいわれる事件の記録を羅列する即物的な記述に「異化」の効果がはたらいている。

    そして、最終章「アルティンボルディの部」で、ようやくアルティンボルディ自身が登場する。作家アルティンボルディ誕生の経緯が伝記風に描かれることで、その他の章に登場する人物との関係が一気に明らかになる。名前が覚えられないほど多数の登場人物が、意外なところで出会っていたり、関係を持っていたりするが、隠されていた人物同士がここで結ばれ、人物相関図が浮かび上がるという仕掛け。一度読んだだけでは充分に楽しむことはできない。まずは、通して読み、気になった部分は再読時に当該部分に逐一当たって確認しながら進むといい。二段組855ページに再挑戦する気があれば、だが。

    たしかに面白い小説だ。構成もよく考えられているし、人物造形も魅力的で印象に残る。また、メキシコという土地の乾ききった気候風土やそこに住む人々の気質や風俗も的確に捉えられている。執拗とも思えるほど書き込んでいく手法が、繰り返しによる強調効果を生み、厚みのある叙述となっている。

    本、あるいは文学作品への言及も一つの特徴として上げられるだろう。一例を挙げれば、地下水路で繁殖するアリゲータを狩るハンターについての挿話がさりげなく語られるが、あれなど、ピンチョンから借りてきたエピソードにちがいない。読者の関心の度合いに応じて反応する記号が随所に埋め込まれている。それらを探すのも楽しい。

    インターテクスチュアリティとでも言えばいいのだろうか、他の作家の作品や自作、映画その他も含めた先行テクストの引用、暗示、剽窃がテクストを開かれたものにしている。作中、一人の作家に語らせているが、すべてはすでに書かれている。いわば、すべてが盗用なのだ、という理論を実践して見せたのが、この作品といってもいいかもしれない。いずれにせよ、厖大なテクスト群を呑み込んだ超重量級の小説である。一冊にまとめたことにより、関連する記述を検索するには便利になったが、如何せん重い。持ち重りするなどというレベルではない。本というものの持つ重みを改めて思い知らされた。電子書籍に相応しい一冊かもしれない。

  • ロベルト・ポラーニョはチリ出身の作家でメキシコ、エルサルバドル、フランス、スペインなどを放浪。豊富な越境体験を活かした小説を発表。ボルヘスなどラテンアメリカ文学の影響も濃い。「2666」は遺作にして最長ボリュームの長編小説。いわゆるメガノベルであり、分厚い。読み始めるまで億劫だが、いざ読んでみれば、現代世界文学最前線的な内容を堪能することができる。

    「2666」は五部に分かれている。全体を通して、サンタテレサという架空の街で発生した未解決の大量殺人事件について語られる。

    第一部批評家たちの部の主人公は、四人のヨーロッパの文芸批評家である。フランス、イギリス、スペイン、イタリアの大学で働く四人の文芸批評家は、謎多きドイツの小説家アルチンボルディの研究者である。彼らはヨーロッパ各地で開催されるアルチンボルディ関連の研究会で知り合い、親交を深め、恋愛関係にもなっていく。アルチンボルディの行方を追ううち、四人はメキシコ国境の町サンタテレサに向かうことになる。この第一部だけでも十分面白い。国境を渡りまくるし、書物に関するボルヘス的小説にもなっている。

    第二部アマルフィターノの部は、サンタテレサで四人を案内し、アルチンボルディの翻訳者でもある哲学教授アマルフィターノが主人公である。チリ出身のアマルフィターノが、何故一人娘のロサを連れて、砂漠の街サンタテレサに移り住んだかの経緯が綴られる。彼のノマド的人生とともに、文学作品に関する言及、狂気、サンタテレサの街に漂う不穏な空気が描写される。

    第三部フェイトの部は、ニューヨークの新聞社で働くアフリカ系アメリカ人の記者フェイトが主人公である。フェイトはボクシングの観戦記事を書くため、サンタテレサに派遣されたのだが、未解決のまま被害者だけ増えていく連続殺人事件の話に興味を持つ。

    第四部犯罪の部では、1993年から1997年までの間に数十人の女性がサンタテレサで殺害されたその経緯が詳細に記述される。犯人と思わしき青年が逮捕され、拘留される。しかし、その後も女性の猟奇的殺人事件は続く。模倣犯なのか、単なる類似した殺人事件なのか、真犯人は捕まっていないのか、真偽定かでないまま、被害者は200人とも300人とも言われる規模に及ぶ。

    第五部アルチンボルティの部では、謎の小説家アルチンボルティの自伝的小説になっている。ハンス・ライターという名のドイツ人青年がアルチンボルティと名乗るようになった経緯と彼の生い立ちが教養小説のごとく綴られる。ハンス・ライターは1920年にプロイセンで生まれ、第二次世界大戦にドイツ軍として従軍する。ポーランド、フランス、ルーマニアとヨーロッパ諸国を転戦したハンス・ライターは、ウクライナの村で療養中、ユダヤ系ロシア人アンスキーの手記を発見する。

    ここから小説はアンスキーの手記の中に移行する。モスクワでアンスキーは、ロシア人SF作家イワノフと知り合う。イワノフは共産党政権下で名声を手にした後、政府に作品を否定されて射殺された(入れ子構造で物語が語られる複雑な構成である)。戦後、ハンス・ライターは、アルチンボルティという小説家になる。

    物語の最後、アルチンボルティの妹ロッテが登場する。ロッテは結婚して、ニューヨークで暮らし始めた後、兄と音信不通となる。ロッテは、とある理由で一人息子に会うため、メキシコのサンタテレサに向かう。旅の途中、アルチンボルティという作家の小説を読んでいる時、この本の作者は兄だと確信する。ロッテがアルチンボルティをサンタテレサに呼び寄せたところで、長い小説は終わる。

    さて、この小説は未完である。連続殺人事件の顛末は謎のまま残されているが、全体が円環しているし、これでよいと思う。

    完成前に作者は亡くなってしまった。生活費にするため、五冊の短編小説に分けて出版するようポラーニョは遺族に頼んだが、遺族は出版社と話して、一冊の分厚い長編小説として発表することを選んだ。結果、『2666』は10以上の言語に翻訳され、英語版は2008年度全米批評家協会賞を受賞し、ポラーニョの代表作とみなされるようになった。日本語版も分厚い。しかし、現代世界文学の流れに触発されたいなら、読むべき小説である。

  • 緩やかでいながら緻密な構成と反復されるモチーフとイメージ。詩的な表現。一章ごとに異なる文学様式。この世の醜悪さ(<欲望>や<うわべ>)を「はらわた」をつかみ出すように描きつつぐいぐいと読ませる筆致。途轍もないものを読んだ。世界の秘密の表象ってマチスモなのかな。そういう意味ではボラーニョはプイグに近いんじゃないだろうか。第4章の描き方や、全体として登場する魅力的な女性たちの強さ、主要な男性登場人物(批評家の中ではモリーニ)の描き方からもそう感じられる。それにしてもこの読後感をとうてい言葉で表すことは難しい。それでも、手元にはもうこれと『地図と領土』があればいいかもという気がしないではない。

  • 1ヶ月の格闘の末遂に完読!自分頑張った!

    膨大な量ではあるけど、幻想的な作品調に頭クラクラしながらハマってく感触を味わいながら読み進められた。圧倒的スケールで、この読後感は読み終えたことを誇ってもいいと思う。

  • 通勤電車で読んでいたら腕や肩に甚大な支障をきたした。犯罪の部には、ただひたすら書くということの凄まじさがあり、ここがもっとも好きだった。

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著者プロフィール

1953年、チリのサンティアゴに生まれる。1968年、一家でメキシコに移住。1973年、チリに一時帰国し、ピノチェトによる軍事クーデターに遭遇したとされる。翌74年、メキシコへ戻る。その後、エルサルバドル、フランス、スペインなどを放浪。77年以降、およそ四半世紀にわたってスペインに居を定める。1984年に小説家としてデビュー。1997年に刊行された第一短篇集『通話』でサンティアゴ市文学賞を受賞。1996年、『アメリカ大陸のナチ文学』を刊行。1997年に刊行された第一短篇集『通話』でサンティアゴ市文学賞を受賞。その後、長篇『野生の探偵たち』、短篇集『売女の人殺し』(いずれも白水社刊)など、精力的に作品を発表するが、2003年、50歳の若さで死去。2004年、遺作『2666』が刊行され、バルセロナ市賞、サランボー賞などを受賞。ボラーニョ文学の集大成として高い評価を受け、10 以上の言語に翻訳された。本書は2000年に刊行された後期の中篇小説である。

「2017年 『チリ夜想曲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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