スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)

制作 : 和田 誠  伊藤典夫 
  • 早川書房
3.92
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本棚登録 : 1808
レビュー : 195
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150103026

感想・レビュー・書評

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  •  1969年発表、カート・ヴォネガット著。第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となったビリーは時間旅行者となる。彼は時間を飛び交い、大富豪の娘との結婚生活、奇妙な時間感覚を持つ宇宙人による誘拐、など様々な体験をする。そして、ドレスデン無差別爆撃を目の当たりにする。
     奇妙な小説だった。文体はあっさりしていて、何だか楽しげな表現が時折現れる。
     そして何より、誰かが死ぬたびにかならず飛び出してくる、「そういうものだ」という言葉。そう言われると身も蓋もない気がする。おそらく爆撃を目の当たりにした著者自身、そんな気持ちになったのだろう。悲しみすら感じることのできない悲しみがよく伝わってきた。
     ところで、このように戦争の苦しみを回避することは健全なのだろうか。
     私は以前、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読んだことがある。そこには、人が極限状態に陥った場合、ユーモアを持っている人(例えば、著者の文章はユーモアで溢れている)、心の中に大切な時間を保存している人(例えば、トラルファマドール星人は「楽しかった瞬間を永遠に眺める」といった考えを語っている)、が精神崩壊せずにいられると書かれてあった。
     だから私は、案外ビリーが(そしておそらく著者も)まっとうに苦しみを回避しようとしている気がするのだ。

  • 『嫌われる勇気』に出てきた

  • 妻、ヴァレンシアの死に方、飛行機事故を起こした夫の元に駆けつける途中、道を間違え急ブレーキ。追突されたものの怪我ななく、がしかし、マフラーが2本とも落ちた車で爆音を撒き散らして病院に着いたところで、一酸化中毒死。
    イカれて、イカした部分の例。
    馬車の馬が苦しんでいることに何も気づかす、車と同じ扱いで走らせ、その苦しみを知ったとき、最初で最後の滂沱の涙を流す。
    荒唐無稽で深いように見えてさらりと流す部分の例。

  • 時間旅行をする主人公があらゆる人生を生きている話。SF小説と言うには違和感があるくらいに“時間旅行”はさりげなく行われ、シャッターを切るように唐突に切り替わる人生を自然に受け入れられる。ドレスデン爆撃の被害者である筆者による戦争描写がユーモアと皮肉まじりに描かれていて好みだった。

  • 本筋に入る直前まで読んで、イマイチ乗れずに積んでた本書。何と今日読み始めて一日で読み終わってしまった。面白かったけど、やや気鬱。人間の愚かしさばかりを集めた話なのに滑稽で物悲しい感じが終始ついて回るので、自分の感情の持って行きどころが分からなく不安定になる。爆撃の逆再生は良かった。もっと上手な嘘を付かないと生きてくのがやんなるよ、的な台詞がグサッときた。後、今更ながら師匠の小鳥が言ったシリーズの元ネタはこれなのか、と思った。 プーティーウィッ?

  • 戦後文学とくくられる小説群がある。日本が先の戦争に敗れ、全く新たな道を歩み始めたとき、いったいあの戦争とは何だったのか、自分はそれにどんな風に関わりまた関わらなかったのか、極限の状態を経験した者たちが、想像力をも駆使して、文学へと昇華させていった・・・。それは実に重くて暗いイメージのつきまとう緊張した世界であった。こころざし半ばに死ななければならなかった同時代の仲間たちの「死にたくない・死にたくない」という悲痛な精神を一手に引き受けて、そのものたちに代わって自分が書く・・・戦後文学を代表するある作家は「精神のリレー」という言葉でその決意を語り、50年かけて書き継ぎながらも未完成に終わってしまった彼の形而上小説のはじめに、《悪意と深淵の間に彷徨いつつ/宇宙のごとく/私語する死霊たち》 と書いた。

    『スローターハウス5』はドレスデン爆撃を生き延びた作者にとってのまさに戦後文学であるはずだ。しかし日本の戦後文学にあるような陰惨で重苦しい雰囲気はない。それどころか、戦争体験を文学的に昇華するこんな方法もあったのかと驚かされる。アメリカ人の受け止め方と一般化してはいけないだろうが、 1945年に精神的な断絶を経験した日本人と、基本的には断絶を経験していないアメリカ人というフィルターには一応かけておかねばならないかもしれない。

    彼の小説を読むと何か活気づく。なぜか。はっきりと言えることは、彼が人間を相対化してくれるからだ。全くちがった見方を提示してくれるからだ。

    「トラルファマドール星人には、宇宙は明るい光の点をちりばめた暗い空間とは見えない。彼らは、ひとつひとつの星のこれまでの位置、これからの位置を手にとるように見わたすことができるので、空はか細い、光るスパゲティーに満たされている。またトラルファマドール星人は、人間を、二足の生き物とは見ない。彼らの眼には人間は長大なヤスデ――「一端に赤んぼうの足があり、多端に老人の足がある」ヤスデのように見える。」

    地球人の常識がとことん相対化されて、運命の大波の中でじたばたする地球人が描かれれば描かれるほど、不思議なことに、あわれな主人公に親しみがわいてくる。作者の魔術にはまってしまったようだ。

    ブログACH & PFUIより転載
    http://achpfui.com/pfui/?p=128

  • 原文はおそらく面白いものであるとの想像はつくのだが、訳のこなれてなさがそれを損なっている
    違う訳者で読んでみたい

  • 奇想天外に物語は浮遊するし、そういうものだという諦念に全体は支配されているが、戦争の悲惨さ、不条理さ、人類の愚かさについて、しみじみと考えさせられる表現だと思う。

  • 再読。読むたびに感慨が深くなる。生きていく中で経験する悲喜こもごもは、本当に取るに足らない。しかし諦念でも斜に構えるのでもなく、受容して笑えればそれなりに愛しい・・。人により感想は大きく変わるのだろう。こういう読後感は他にない。

  •  ビリー・ビルグリムは時の流れを行ったり来たりし、ランダムに自分の人生のある時を体験し続ける不思議な男だった。
     カート・ヴォネガットが自ら体験したドレスデン爆撃を絡めて贈る不条理SF。

     ドレスデン爆撃のことを軸に書くのではなく、トラルファマドール星人的な感覚がストーリーの軸となっている。確かに永遠に人生のある瞬間を体験し続け、自分や世界にこれから何が起こるか分かっていれば、こういう冷めた感覚になってしまうのは理解できる。だが、この感覚は私達一般人から見れば狂人でしかない。
     ここで疑問がわく。不条理なこの世界ではこの冷めた感覚を持った狂人こそが実は正しいのではないか。不条理な死がそこらしかにあることは”そういうものだ”の一言で片づけるのが正解かもしれない。だが、私はトラルファマドール星人的な感覚機能を持っていない。狂人にはなれない。であるならば私はどうするべきか、とヴォネガットは投げかけているように思えた。

     過去のヴォネガット作品の登場人物が多数出演するヴォネガットの集大成とも言える一冊。

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