十牛図入門: 「新しい自分」への道 (幻冬舎新書 よ 2-1)

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  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344980778

感想・レビュー・書評

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  • [ 内容 ]
    室町時代に中国から伝わり、日本人が夢中になった不思議な十枚の絵がある。
    逃げた牛を牧人が探し求め、飼い馴らし、やがて共に姿を消す―という過程を描いた絵は十牛図と呼ばれ、禅の入門図として知られる。
    ここでは、「牛」は「真の自己」を表す。
    すなわち十牛図とは、迷える自己が、自分の存在価値や、人生の意味を見出す道程を描いたものなのだ。
    禅を学ぶ人だけでなく、生きることに苦しむすべての現代人を救う、人生の教科書。

    [ 目次 ]
    序章 いま、なぜ、「十牛図」が必要か。「十牛図」が現代に問いかけてくるもの
    第1章 牛を尋ね探す(尋牛)
    第2章 牛の足跡を見つける(見跡)
    第3章 牛を見つける(見牛)
    第4章 牛を捕まえる(得牛)
    第5章 牛を飼い馴らす(牧牛)
    第6章 牛に乗って家に帰る(騎牛帰家)
    第7章 ひとり牧人はまどろむ(忘牛存人)
    第8章 真っ白な空(人牛倶忘)
    第9章 本源に還る(返本還源)
    第10章 町の中に生きる(入廛垂手)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 著者が唯識思想(自分自身と向き合うことを徹底的に考える)を専門としており、その観点から十牛図にアプローチしているので、内容が十牛図の解説より唯識思想の解説に力が入っている感じ。もちろん解釈はそれぞれなので良いのだが純粋に「十牛図とは何ぞや」と言うのを知りたければ他の本が良いのかも。

  • うーん、わかったようなわからんような。十牛図についてはもっとシンプルに読み解いていくのがよさそうですね。

  • 禅の教えを伝えるものとして、「十牛図(じゅうぎゅうず)」というものがあります。
     とても印象的な連続した絵なので、どこかでお目にかかった方も多いかと思いますが、牧人が牛を探している「尋牛(じんぎゅう)」という場面から始まり、牛の足跡を見つける「見跡(けんせき)」。そしてその足跡を辿っていって、尻尾を垂らした牛の後姿を発見し(見牛(けんぎゅう))、そしてその牛を何とか無理矢理にでも手中に納め(得牛(とくぎゅう))、次に牛を手なづけて自由自在に操ります(牧牛(ぼくぎゅう)。牛と一体化するほどになった後は、牛の背中に乗っかって家に帰ります(騎牛帰家(とくぎゅうか))。牛と牧人が一体化すると、もうそこには何もわだかまりがなくなったかのような、真っ白い図が、人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)。真っ白になった後に、周りの自然の姿に改めて気づき、その自然をいとおしむかのような、自然の姿を現した返本還源(へんぽんげんげん)。そして最後はまちへ出て行く入障ミ垂手(にってんすいしゅ)。
     今言葉で長々と説明しましたが、これは絵を見て瞑想するものなので、言葉であれこれ説明してもなかなか伝わるものではありません。禅の境地を絵で表したものですから、それは当然なことです。私はこの十牛図を長年不思議に感じ、いつか解説書を読んでおきたいと思っていました。先日ふらっと本屋さんに行きましたら、この本が平積みされておりました。まるで牧人が牛の尻尾を見つけたときのように、「お!」と何かが閃きました。すぐに手に取りぱらぱらとめくり、これはいいなぁと即購入しました。難しく敷居の高い禅の用語をわかりやすく解説しており、そして本書のテーマである十牛図も、十分な解説があります。
     筆者の横山紘一氏は、それぞれ丸い十牛図を、さらに円のように並べて、「観想十牛図」というものを発案したそうで、その写真も出ています。なるほどこれなら見ているだけで何か心持が整理されそうだなと感じます。

     私が感じますに、禅というものは、どこか山深いところで瞑想をするものではなく、常に自分がいるところで行われるものだと思います。それは自分の仕事を通してであったり、自分の家庭を通してであったり、自分が接する社会や人々のつながりの中で、普通に淡々と行われるもので、特別なことではないと思います。
     私はかつて(ついこの間まで・・・)、修験道というものをやっておりました。滝に入ったり、山行をしたり、各地の山へ出向いては門を叩いて参加したことがあります。マイ法螺貝も持っていたりします。しかし、今年に入り様々な心の変化がおきまして、修験道を辞めることにしました。20歳との時から滝に入り、今年の6月まで約18年間やっていまし、一時はこの道だけにしようかと思ったくらいです。辞めることに怖さもありますし、敗北感も感じたりもしました。
     しかし、日常生活にあることアタリマエのことに気づくこと、そしてそこに感謝することをしなくては、山で修行しても仕方がありません。日常生活をきっちりこなせない人間が、山でいくら修行しても、里へ戻ってくれば何の役にも立たないと思うに至りました。メーテルリンクの『青い鳥』のように、戻ってきたのは再び“自分”でした。遠回りをしましたが、自分探しの大きな旅であり、それはそれで大きな収穫であったと思います。

     十牛図は“観ること”が大切だと思います。“観る”とは、“生活の中で観ること”に通じると思います。目に見えないものに触れようと、目をつぶって瞑想するのではなく、見える範囲から感謝していくことが、本当の瞑想であり、修行だと思うようになりました。こう感じましたら、鍼をすることがまた楽しくなり、患者様と接することが楽しく、そして、その結果、いい鍼が出来て、ようやく病態を回復するお手伝いを出来るようになってきたかな、と思う今日この頃です。

  • 「十牛図」と云われる禅の入門図に関する解説本。十牛図とは、牧人が逃げ出した牛を探し求め、飼いならし、やがて姿を消しいていくという一連の過程を十の絵で表したもの。そして、それは人間が悟りをひらくまでのステップを表したものであるそうだ。著者が長年、専門としてきた唯識思想のコンセプトとともに解説されている。

    新書1000本ノックその3

  • 資料用に借りて流し読み。

  • 分からなかった。
    しかし分からなくて当然。凡夫である自分たちに悟りの境地が分かってたまるものじゃない。

    分からないからこそもっと深く読み込む必要があるし、また読み込みたいと思う。
    そしてここで書かれているような世界の捕らえ方ができるようになりたい。

  • 牧人が牛を探す過程を10枚の絵で描いた十牛図についての本。
    牧人を本当の自分を探す自分、牛を本当の自分として考えて考察をしている。
    自分探しということについて述べた本。
    だが、本当の自分とはこういうものです、と述べているわけではなく、じぶんについて考えるきっかけをあたえてくれる本。
    考えさせられる本である。
    ただ、内容が難解で、また言っていることが的確なので、意外と考える隙をあたえてくれないかもしれない。
    自分について、ということを考えるヒントがここにはある。

  • 十牛図は学部の心理学関係の授業で一度出て来て面白いなと、思った程度で、それ以来詳しく触れる事がなかったのだが、最近、十牛図についてわかりやすく書いていそうな本があったので買ってみた。

    正味の宗教家が書いた本なので、仏教用語が結構出てくるのだが、一般向けに書かれた本なのでわかりやすく説明してくれている。

    言わずと知れた十牛図だが、心理学で言うアイデンティティの確立とか自己実現とかに関わる内容のようだ。
    もしかしたらもっとヌミノース的な要素を強調した自己実現とかの意味合いが強いのかもしれないが、ちょっとそこらへんはよくわからない。というかあまり興味がない。

    作者によると、世界中の人間が仏教思想や唯識思想をきちんと理解する事で世界の平和は保たれると言う。

    つまり、この本は究極的には仏教思想と世界平和とかを説いているようですな。

    対立や紛争をさけ、お互いを理解して平和に生きて行くためには、「すべての「一人一宇宙」を、包み込み、貫いている、共通の「理」を理解し、その理に則して生きて行くこと」だという。
    つまり、みんなが唯識思想に基づいて、かつそれに従って生きていきなさいということである。

    確かにみんなが同じルールにきちんと従う事ができれば、とうぜん対立はなくなるんだろうけど・・・。

    これって一歩間違えれば全体思想につながるんじゃないの?と思うけど、そんな事いったら怒られるかな。

    釈迦は数千年前に仏教を打ち立てて素晴らしい思想を確立したのかもしれないけれど、結局、紛争や対立、戦争はなくなっていない。今のダライラマを見ればそれがよくわかりますね。

    一部の人は、唯識思想における悟りの境地に至る事ができるのかもしれないけれど、その境地に至れない人の方が多いと思うし、そこに至れない人達は一体どうなるのだろうか?

    また、仏教的には「無」であることが一番いい事らしいが、「無」がある事はどうやって証明するんだろうか?「無」が一番いいと言い切れる根拠はなんなんだろうか?

    きっと僕の勉強不足なんだろうけど・・・ちょっと腑に落ちない点がいくつかあったな。

    だけど、知識として十牛図のことを知っておいても悪くないし、自己実現とかアイデンティティ確立のたとえ(仏教的な意図とは全然違うのかもしれないけど)としては、とてもわかりやすいですね。

  • 唯識論で読み解く十牛図。
    真の自分とは。どう生きるのかを模索する筋道が書かれているが、唯識の世界観が自分には今のところなじめない。
    言葉による概念が本体そのものではないから、概念は実体ではないなら納得できるが、だから我もない、世界もないとなると。。うーん。
    我を捨てて利他を目指すのは、世界の認識の窓である我を軽視しているようで、矛盾を感じている。
    08-31

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著者プロフィール

1940年、福岡県生まれ。1964年、東京大学農学部水産学科卒業。1967年、東京大学文学部印度哲学科卒業。1974年、東京大学大学院印度哲学博士課程修了。現在は立教大学名誉教授、正眼短期大学副学長。
著書:『唯識の哲学』(平楽寺書店)、『唯識思想入門』(第三文明社)、『唯識とは何か』『十牛図・自己発見への道』(以上・春秋社)『ゆずれば無我か』(佼成出版社)、『漢梵蔵対照・瑜伽師地論総索引』『梵蔵漢対照・蔵梵漢対照・佛教語辞典』(以上・山喜房佛書林)、『やさしい唯識』(NHK出版)、『仏教思想へのいざない』『唯識で読む般若心経』(以上・大法輪閣)、『十牛図入門』『阿頼耶識の発見』(以上・幻冬社)ほか多数。


「2020年 『〈新装版〉唯識でよむ般若心経 空の実践』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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