- Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
- / ISBN・EAN: 9784562054329
作品紹介・あらすじ
ヒムラー、ゲーリング、ヘスといったナチ高官たちは何を行い、戦後、自らの罪にどう向き合ったのか。彼らの子どもたちは父の姿をどのように見つめたのか。親の過ちは彼らの人生に影を落としたのか。現代史の暗部に迫る。
感想・レビュー・書評
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第三帝国高官8人の子供達。敗戦後、彼らは自分の名を告げるだけで周囲に激しい反応を引き起こす“ナチの子供”としての人生を歩む。ゲーリングの娘が父を崇拝し無実を信じ続けた一方で、その甥の子供達は家系を断つために断種手術を選んだ。アウシュヴィッツ所長ヘースの娘は名を隠し、“クラクフの虐殺者”フランクの息子は父を憎み、メンゲレの息子は逃亡中の父と対決する。子供の罪ではない。だが彼らは親の「おぞましい遺産」を生涯背負う。戦争が過去のものとなることなどなく、常に語られることを必要としている、と改めて思った。
ヘースの娘ブリギッテは7~11歳までアウシュヴィッツで暮らしたが、縞模様の囚人服を着た使用人が作った美しい庭で遊び「アウシュヴィッツは天国みたいだった」と語っている。またフランクの息子ニクラスは、ユダヤ人が作る「最高のコルセット」を買いに行く母とともに、死体が転がるゲットーへ行った時の記憶を語る。彼らが豊かで安全な子供時代を享受していたとき、すぐそばには地獄があった。成長してそのグロテスクな事実を理解した時、彼らがどれほどの衝撃を受けたろうかと思ってしまう。(2016)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
残虐な行為に及んだ父を持った子供たちはその後の人生をどう生きたのか?興味を持って読んだのだが、読むうちにあまりよく知らなかったナチ戦犯者が実際どんな残虐なことをしていたのかにより興味がわいてゆき、子供たちの生きざまが二の次になってしまった。名前と人物が父母子供てれこになったりしてこんがりがりながら読んだことで少し集中に欠けた.
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★子孫としての責任とは★本人に責任があるわけではなく、親の業をどう背負うのか。家庭での良き父を絶対視しナチの仕業を認めない、逆に父に猛反発する、さらにはひっそりと隠遁する。子孫を残さないために断種する人もいたというのは切ない。
ナチへのドイツの感覚について勉強不足だったので、戦後の雰囲気など参考になった。とてもよく調べているのだが、登場する子供のうち直接インタビーできたのは1人だというのはちょっと残念。
一族の仕事であった建築家として、改めて成功したアルベルト・シューペア・ジュニアのことは知らなかった。北京五輪の施設でそんなに話題になっていたとは。ドイツにルーツの一部がある著者とはいえ、フランス語で書かれた本というのが意外だった。ドイツ人ではまだ書くのは難しいのだろうか。 -
ナチ高官の子どもたちの話。
民主主義でNSDAPが選ばれたことは、前提におかないといけないと思う。
とは言え、親が何をしたかはともかく、愛していると言えなくなった、言うことを批判されるというのは悲しいものだと感じた。
シーラッハの祖父母の名前が!という関係ないところに反応したり。 -
東2法経図・開架 283A/C91n//K
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ヒムラー、ヘス、メンゲレ・・・ナチの高官たち。
彼らにも家庭があり、子どもがいた。
彼らの子どもたちがどう生活し、
戦中・戦後を生きていたかを詳細に綴っている。
その時の年齢、性別、母、兄弟・・・どの子も
同じわけではない。外から遮断され幸せな家庭、
優しい父、厳格な父。
そして戦後・・・。
愛しい父はそんなことはしなかったと信じる者、
父の罪を受け止め聖職者になる者・・・様々な生き方に
身を投じた。
しかし、どんな生き方をしようが、
父の名は付き纏う・・・一生、そして子孫にも。 -
1人あたりの記述は短く、サクサク読める。
全肯定から全否定まで振り幅は極端だが、どちらにしてもさもありなんというところ。高名な建築家となった御年80歳のアルベルト・シュペーア翁(父と同名、同じ職業)の言葉が、本書の主題のすべてを物語っていると思う。
「この歳になっても、これだけの仕事をしても、いまだに私が最初に聞かれるのは父のことなのだ」
ところで、幾度か言及がありながらバルドゥール・フォン・シーラッハの子孫には取材していないのは、「おとなの事情」というやつなのだろうか…。
2017/10/27読了