うしろめたさの人類学

著者 :
  • ミシマ社
3.82
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本棚登録 : 2021
感想 : 140
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903908984

感想・レビュー・書評

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  • ■メモ:
    ・人が精神を病む。それはその人ひとりの内面だけの問題ではない。もしかしたら、ぼくら自身が他人の「正常」や「異常」を作り出すのに深く関わっているのではないか。自分の「こころ」が人柄や性格をつくりあげている。誰もがそう信じている。でも、周りの人間がどう向き合っているのかという、その姿勢や関わり方が自分の存在の一端をつくりだしているとしたら、どうだろうか。ぼくらは世界の成り立ちそのものを問い直す必要に迫られる。ある人の病や行いの責任をその人だけに負わせるわけにはいかなくなる。

    ・日本に生きるぼくらは、精神に異常をきたした人は、家族や病院、施設に押し付けられ、多くの人が日常生活でかかわる必要のない場所にいる。見なかった、いなかったことにしている。

  • 2021/6/28

    文化人類者の仕事は楽しそうなぁ。だけど、その裏には貧富の差が駆り立てる「うしろめたさ」に答えが出ない著者のもどかしさがあることが文章から伝わってくる。そんな疑問は、人類がどう社会を生きるべきかという壮大な疑問へと昇華する。ここまで来ると、文化人類学者の仕事が楽しそう、なんて軽々しくは言えなくなる。

    そんな疑問に贈与と市場原理の観点から展開される論は面白くて読むのがやめられない。



  • "倫理性は「うしろめたさ」を介して感染していく"

    日常では見ない不平等や不均衡をみることで、自分のできこと、やるべきことに目が行くという視点はなるほどと思った。

    うしろめたさを動力にして当たり前を変えていくには、不平等を含んだ新しいものを積極的に触れていく必要があるのかもしれない。

    ただ、今は情報過多でyoutubeなどでエチオピアでも宇宙でもなんでも探して見ることができる。なんでも簡単に触れられるからこそ、全ての不平等が同じく遠いものに感じられる。


    あたりまえの不均衡を少しでも変えるために、一歩を踏み出す勇気をくれるような本だった。

  • 「松岡正剛の千夜千冊」で知った本。文化人類学者である著者が、エチオピアの農村でのフィールドワークをもとに、私たちが生きる社会や国家や市場について考察したノンフィクション。

    新興国で物乞いにあったときに感じる戸惑いと、お金を渡しても渡さなくても感じるモヤモヤ。これらを「うしろめたさ」と「贈与」で紐解いていく。

    人類学の本というと、難解で退屈なものも多いが、非常に整理された文章で読みやすい。エチオピアの生活がわかるエピソードや写真も、エチオピアと日本との差異を際だたせている。構築人類学という学問をはじめて知った。「贈与論」を読んでみようと思った。
      

  • 5

  • 構築主義という考え方。何事も最所から本質的な性質を備えているわけではなく、さまざまな作用のなかでそう構築されてきた、と考える視点。
    いまここにある現象やモノがなにかに構築されている。
    だとしたら、それをもう一度、いまとは違う別の姿につくりかえることができる。そこに希望が芽生える。その希望が「構築人類学」の鍵となる。
     いまの世の中にどこか息苦しさを感じたり、違和感を覚えたりしている人にとって、最所から身の回りことがすべて本質的にこうだと決まっていたら、どうすることもできない。しかし、それが構築されているのであれば、また構築しなおすことが可能だ。

  • 新入生におすすめの本

    所蔵状況の確認はこちらから↓
    https://libopac.akibi.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2001006302

  • エチオピアと日本を往復する人類学者が、エチオピアと日本それぞれの視点から社会の在り方を考察した一冊。考察の合間合間にエチオピア滞在記が挿入されている。

    日本の文化を別の文化の視点から、特に非西洋、非東洋の文化から見ると、それが絶対的でも普遍的でもないことがしばしば明らかになる。そのことによって、こんな社会もあり得るんだと知ることによって、気が楽になったりもする。今の社会を少し揺さぶることができるかもしれないと思う。これは人類学の効能の一つだろう。

    読んでいて付箋を貼りたくなる箇所がいくつもあった。交換と贈与の違い。後ろめたさを感じても見なかったことにすること。感情の名前は文脈から生じる。国家を身体化・内面化しているかどうか。国と個人の相互依存と一体化。自由市場と統制された市場。国際食糧援助に見る贈与と交換。

    平易な言葉で書かれてるけど、考えさせられるので簡単には読み進めない。私たちは合理性や効率性、資本主義を優先する社会で何を見過ごしているのか?それらの影で感情のやりとりが失われているのではないか?「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」や「0円で生きる」と重なる部分がある。格差社会だと言われているが、その是正に必要なのは後ろめたさかもしれない。貧困や障害者やマイノリティが表に出ることの意味も、後ろめたさを喚起することにあるのではないか。

    しかし残念ながら今の日本では、自分の弱さを、欠損を表に出すことが難しくなっていると感じる。効率を追求した社会だからだろうか。表に出した、柔らかいそこを逆に突かれるのではないか、と警戒してしまう。その結果、「甘えんな!」「オレだって大変なんだ!」という残念な逆切れが、後ろめたいが故に多発しているのではないか。

    それにしても、みうらじゅんが後ろめたさという感情を象徴するものを「後ろメタファー」と呼び、現代は「後ろメタファー」が弱まっていると言っていたのは、さすがだと思った。

  • うしろめたさを感じることは悪いことではなくて、それを生かして何ができるか、考える。

    著者のエチオピアでの日記が、本論にリアリティを持たせてくれる。

    読みやすい故に、さらっと流してしまわない様に注意して読む。

  • 表紙の配色珍しくてかわいー

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著者プロフィール

松村 圭一郎(まつむら・けいいちろう):1975年熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。専門は文化人類学。所有と分配、海外出稼ぎ、市場と国家の関係などについて研究。著書に『くらしのアナキズム』『小さき者たちの』『うしろめたさの人類学』(第72 回毎日出版文化賞特別賞、いずれもミシマ社)、『旋回する人類学』(講談社)、『これからの大学』(春秋社)、『ブックガイドシリーズ 基本の30冊 文化人類学』(人文書院)、『はみだしの人類学』(NHK出版)など。共編著に『文化人類学との人類学』(黒鳥社)がある。


「2023年 『所有と分配の人類学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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