AIアンドロイドのクララと病弱な女の子ジョジーの物語。クララの、すなわちAIの一人称で語られる。

冒頭、AI(同型のアンドロイドの中では飛び抜けて優秀)自身から見た認識・学習過程の描写や、2人の心温まる出合いなどを楽しみながら、そこはイギリスの作家だし、ノーベル賞作家だし(受賞後最初の出版だそうだ)、一筋縄では行かないんだろうなという警戒感が頭をもたげてくる。

クララの計画がとんでもない結果をもたらしたりしないか。ジョジーの母や隣家の母の妄信のゆくえは、ジョジーとリックの関係は、なによりもクララの運命は・・・果たしてこの物語はハッピーエンドを迎えるのだろうか?

作家特有と思しき、事情をはっきりとは描写せずに思わせぶりに重ねていく構成にも、警戒感の理由はあるようだ。

そういう不案内な心持ちを抱かせたまま突き進んだラストシーンは、クララにとってはもちろんハッピーエンドだったろう。登場人物それぞれにとっても。でも、個々を離れて世界観全体を見渡した時、やっぱりそこには格差、倫理観の歪み、環境や物の浪費、人間社会の不如意といった、難しいものが残るのである。

いやそれはともかく、最後めっちゃ泣けた。

2022年10月9日

読書状況 読み終わった [2022年10月9日]
カテゴリ ファンタジー

(2020/4/22)

クリス・バック/ジェニファー・リー監督、2019年、アメリカ。

これはやばい。大傑作。

1作目はちょっと緩めのベタベタした話だったけど、今回は人物描写もしっかり練られた印象。エルサの融通が利かない、直情径行だけどリーダーシップがあるところ。アナの行動力、無鉄砲さと理性のバランス、などなど。

エルサはなぜ魔法を持って生まれたのか。両親の死の真相は。「精霊」の性格づけと行動、ダム破壊への筋道など、お話の脈絡、ロジックが素晴らしい。女王と王位継承権者が揃って、なぜわずかなお付きだけで危険な旅に出るのかとか、突っ込み始めたら切りがないけど(笑)(1作目でアナ王女が薄着で単身冬山に分け入ったのに比べたらましだわな)。

ダムのモデルがノルウェーに実在するAltaダムとされているようだけど、物質文明や自然軽視への批判的精神にも共感できる。

そして、前作以上に歌の力を感じる。イディナとクリステンは言わずもがな、子守歌(エヴァン・レイチェル・ウッド)の深みもいいし、エンドロールで出て来るパニック!イン・ザ・ディスコの圧倒的な歌唱力、ケイシー・マスグレイブズの現代カントリーの味もいい。

なにより「謎の呼び声」を演じたノルウェーの歌姫AURORAちゃん(オペラ系の大御所だとばかり思ったけど若手だった)の透明な歌声にはまじ惚れ。CD買ってYouTubeを追っかけまくっちゃった。

2020年4月22日

読書状況 観終わった [2020年4月22日]
カテゴリ ファンタジー

映画「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」の原作。
映画の原作を読んでみるシリーズですな。

著者は、なんでも古写真(ポストカード?)の蒐集家だそうで、宙に浮く少女とか、仮面をかぶった双子とか、犬の顔んところに人間の顔を当てはめたり、といった妙な細工がされた写真からイメージを膨らませてこのファンタジー小説を組み立てたとのこと。

前半は、映画でも(一部キャラの能力とかに異同はありつつ)原作を忠実に再現しているようだけど、後半には目に見えてお話がズレてくる。あれれ?と思ったら、この本だけでは完結していないらしい。(続編が2つほど出ているらしい)

ミス・ペレグリンは(今のところ)エヴァ・グレーンみたくキリリっとした姐御風ではない。「ループ」の構造(現在とのつながり)とか、「ワイトとホローガスト」の関係とかはようやく分かった。

2019年10月16日

ジャン=ピエール・ジュネ監督、2009年、フランス。

父親を死なせた地雷、自分の頭にぶち当たったギャングの銃弾、自分の人生を狂わせたその二つを作った武器メーカーの社長への復讐と、戦争商売への風刺を描いたブラックコメディ。

同監督の「アメリ」と構図は似ていて、廃品回収業者のいずれも一芸持っている仲間(愛すべき疑似家族)とともに、傑作な作戦で社長らを懲らしめて行く。

風と布で作る炎(前にもどこかで見たかな?)や、ブラウスとスカートを回転させて踊りに見せるからくりなどの小さなクスグリが、例によってめっちゃいい。

2019年8月14日

山崎貴監督、2017年、日本。

夫婦愛の物語。

日常の不思議譚なのかと思ったら、後半、思わぬ壮大な展開になってワロタ。

前半はちときつい。途中でやめるかと思った。(警察が出て来るあたりが特に)

昭和初年くらいから現代にかけて、時代、時空が錯綜しているんですね?

役者がなかなかいい。堺雅人はなるほどの存在感、高畑充希はちょっと照れくさいけど嫌いではない、ほか、薬師丸ひろ子、三浦友和、吉行和子など。

CG(VFXっていうの?)は、惜しい。実写とのつなぎがもう一歩。キャラクターの動きは魅力的。

鎌倉に住んでる人は、より「そうそう」と思うのか、より「ないない」と思うのか・・・友人が一人居るので今度訊いてみよう。

2019年7月5日

読書状況 観終わった [2019年7月5日]
カテゴリ 映画

ジャン=ピエール・ジュネ監督、1991年、フランス。

監督がけっこう好きな人なので、内容をよく知らずに観たんだけど・・・世紀の謎映画。

筋も人間関係も起こるできごとも映画の意味も壊滅的にわからない。
バッドトリップしたような感覚だけが残った。

Wikipediaを見ると、核戦争から15年後のパリが舞台なんだって。そんな説明、あったっけ・・・^^;

2019年4月3日

宮崎駿監督、1992年、日本。

宮崎監督が考えるダンディズム、「かっこいい」ってのはこうなんだという、男のおとぎ話。監督曰く、「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のためのマンガ映画」なんだそうだ。

道具(兵器)への偏愛、女性の軽視(大事には扱ってるけど)がよく描かれる。

例によって説明は足りない。

2019年4月1日

読書状況 観終わった [2019年4月1日]
カテゴリ 映画

ティム・バートン監督、2016年、アメリカ。

どうも、こういうファンタジーが好きみたいだ^^;

始めホラーコメディかと思い、だんだん「夢落ち」系の(現実には起こっていない)ダークファンタジーかと思い、結局なかなか痛快な冒険譚・友情譚になっていく。

エヴァ・グリーン(ミス・ペレグリン)の大きな目、サミュエル・ジャクソン(敵の魔物)の怪演などに目を惹かれるし、「奇妙なこどもたち」もTVで予告編を見た時には「何じゃそりゃ」としか思わなかったのに、けっこう魅力的に造られている。かなり気に入った(笑)。

1943年(物語の主な舞台)や「ループ」と現在の位置関係がだんだんわからなくなってくるなど、ちょっとストーリー的に「迷子」になりそうなのは確か。

2018年8月15日

ピーター・ジャクソン監督、2001年、アメリカ。

すごい大がかりだけどすごい大雑把な映画。
原作を読んで来いと?

2018年3月24日

読書状況 観終わった [2018年3月24日]
カテゴリ 映画

ジェニファー・ユー監督、2011年、アメリカ。

パンダのカンフー・マスター、ポーを主人公とするアニメ映画第2作。前回より悪ふざけ感も後退して、オレ的にはより安心して観られる内容になった。

パンダの父親がなぜガチョウなのか、「内なる平和」の奥義がどこへつながっているのかなど、冒頭の伏線がちゃんと活きている緊密なストーリー構成には、大いに満足。これでモーション・キャプチャを使っていないというんだから、アニメーションも相変わらず凄い。

しかし巨艦主義の悪役が出て来て、「フォース」のような力と仲間とで立ち向かう善玉。まんまスターウォーズであるな。

2017年9月9日

ティム・バートン監督、2005年、アメリカ。

世界最大のチョコレート企業ウォンカが、世界中の客の中から5人の子どもを工場内に招き入れるキャンペーンを実施。選ばれた5人を待ち受ける運命は?・・・という、ブラックコメディ映画。

次々とあふれ出るアイディアをそのまんま映像にしちゃった。最後はホロリとニヤリを同時に感じさせて終わる。

ジョニー・デップと、インド人ディープ・ロイの怪演が見所。

2017年9月9日

ジョン・スティーヴンソン/マーク・オズボーン監督、2008年、アメリカ。

カンフーに憧れるパンダのポーが、ひょんなことからカンフーの頂点に立つべき「龍の戦士」に指名され、最強の悪人と戦うことになる・・・というアニメ作品。

アメリカ流おふざけはちょっとアレだったけど、お話としてのデキの良さ、アニメの精緻さには感動。往年のカンフー映画や日本アニメのストーリーや動きを相当研究したというだけあって、凄い完成度の高さである。

声優さんも凄いんですな、主演のジャック・ブラックは知らなかったけど、ダスティン・ホフマンとかアンジェリーナ・ジョリーとか、ジャッキー・チェンとか。

それに何と言っても、CGっていうか美術が素晴らしい! 意外に観惚れる映画であった。

2017年9月6日

ギレルモ・デル・トロ監督、2006年、メキシコ他。

パンは牧神(パーン)のことで、その迷宮ということである。

舞台はフランコ圧政下のスペインで、レジスタンス運動を弾圧する将校の継子となった少女の物語。

血なまぐさい弾圧や母の重篤、冷酷な義父との軋轢などの過酷な現実と、そこから逃れたい少女の「自分が実は失われたお姫様で、パンの謎かけによって元いた城へと導かれる」という、夢想なのか実際の体験なのか判然としないおとぎ話とが交錯する。

「愛する者のために血を流す」とはどういうことか・・・そんなテーマを巡り、深みのある映像美と含みのあるストーリーが展開される。ずっしりとしたコクが残るダークファンタジーである。

2017年8月23日

杉浦日向子さんの代表作のひとつ。

怪異譚を100集めると化け物が現れるというのだが、99話まで語ったところでやめておこう、という趣向になっている。

内容は1話が7ページ程度で、舞台は江戸時代。狐が化けたり、異形のものが部屋の隅にいたり、夢に捕らえられたりする。必ずしもはっきりとした結末があるわけではなく、断章というか、ふつっと途中で終わってしまうようなお話も多い。はてこれはどういう意味なのだろうと考え、コマを眺めているうちに、なんとも言えぬ心許なさとともに恐ろしさがゾクっと立ち上ってくる。

実に不思議な作品である。

お話もそうだが、極度に省略され、時には白々と、あるいは黒々と単純化された絵柄も、却って心裏の深奥を覗くようであり、深くて怖い。

筆者は江戸~明治期の風俗に通じて、考証の確かさは定評のあるところ。

女御やちょんまげ、所持品などの描きわけを見ているだけでも楽しいし、第1コマ目からその世界へと引きずり込まれる独特の画力は、見事というしかない。

2015年1月7日

9歳の少年が、それより小さい少年の姿をした宇宙人に出合い、人類がよりよく生きるための至高の「法」である「愛」を教わるお話。

愛と言っても、恋人や家族への愛ばかりでなく、人々、社会への無償の愛を説くわけです。
その唯一無二の「法」に従う理想の世界では、お金もなく(欲しいものは互いに融通し合う)、警察もなく(悪事は必ず自分にはね返ってくると知っている)、怒りも嫉みもない。
どうです素晴らしいでしょう。地球人類もそれを学ばなければ。

という本です。

読んでいるうちに、そんな純化された社会はやがて衰退し滅びに至るというオチなのかと思い始めましたが、ただ至高のおとぎ話で終わりました。

愛は神であり、神は愛である、という一元論に皆目を輝かせる世界もいいのかも知れませんが、そんなのないし、却ってつまんないですよ。(もちろん、戦争やいがみ合い、威張り合いなんかなくなればいいのにとは私も思っています)

続編もあって三部作となっているようで、実はもっとテーマが複雑なのかも知れませんが、私は読まないでしょう。

2014年1月4日

読書状況 読み終わった [2014年1月4日]
カテゴリ ファンタジー

ジブリの次回作が「借りぐらしのアリエッティ」といい、児童文学が原作だと聞いてその作品を読んでみた。

宮崎駿氏の翻案はいつもながら見事だが、時として省略が多く(観覧者が感じろということらしい)、原作を追読することで理解や味わいが深まっちゃったりするので、今回は先回りして読んでみよう、というわけ。

*

あれどこに遣ったっけ?と小さなものをなくすのは誰しも覚えがあるだろうし、“小さな妖精”(本作の主人公は妖精じゃないけど)の実在も、子供の頃に一度は想像したことがあるんじゃないだろうか。

そういう意味で、モチーフはごくありきたりだ。主人公の(身の丈20cmに及ばない)少女と人間の男の子との心の交流というのもだいたい見えるセンではある。

でも1950年代に書かれた(舞台設定は19世紀終盤)物語にして、すでに物質文明や贅沢、あるいは他人に頼りすぎることに潜む落とし穴を言い当てているなど、大人が読んでもコクのある作品と言えるだろう。

「アリエッティ」の公式HPによると、宮崎氏は「借りぐらし」というキーワードの中に大衆消費時代の終焉という現代性を見ているようだが(舞台設定も2010年の小金井になるらしい)、古今東西の児童文学に目を通し、引き出しの中にこういう今に通じるテーマをちゃんと持っている辺りに、時代の寵児としての才能があるわけですな。

監督は別の人になるみたいだし、どんなお話になるんだかねぇ(楽しみ半分、危惧半分(笑))。

*

しかし「床下の小人たち」って邦題、なんとも即物的で夢がないなぁ(原題名は“THE BORROWERS”という)・・・と思っていたら、そう付けられた理由は巻末解説に書いてあった。それでも「借りぐらしのアリエッティ」の方がずっと魅力的だけど。

2010年1月10日

子どものころ、なにかのマンガ雑誌に連載されていたのを読んで以来。

単なるギャグマンガではなくて、著者特有の密度感・ファンタジックな深みがあって魅力的な作品である。

2004年11月19日

ゲド戦記にいう「真の名」ってことだナ。

2002年8月19日

主人公である「明治の文士」の目から見た日常を描く小説。

庭の木々や植物をフックに、濃密なイマジネーションが広がる。亡き友が掛け軸から現れて世間話をしていく、河童や人魚が現れる。キツネやタヌキに化かされる。植物の精に助けられる・・・などの怪異というかスピリチュアルなものが往来する。

さらっと書いているようでいて、また時間が疎に流れているようでいて、すごい密度の濃さを感じる。筆者のイマジネーション(精)が文章に凝結しているかのごとく。

2019年3月8日

梨木香歩さんシリーズ。

3つの短編からなる本です。

一つ前に読んだ「からくりからくさ」の前後譚で、これも女性の世界の物語ですね。

最初の2編は、主人公ようこ(まだ「蓉子」ではない)が少女で、日本人形の「りかさん」と出会う頃のお話。

寄せ集めの雛飾りを始め、なかなか難しい人形たちの固く絡まった人生?を、ようこがりかさんの力を借りながら解きほぐして行きます。

人形と話をするというのは、ファンタジー、またはスピリチュアルに思えるけど、感じやすい女の子には普通にできることなのかもね・・・と、読んでて思った。

りかさんと、ようこの祖母・麻子さんがことのほか魅力的。
若い女じゃなくてやっぱおばあちゃん、ベテランの凄みさえ感じます。オレもこういうおばあちゃんにならないと・・・!(男だけど)

3編目は、「からくりからくさ」直後の話。

女性にとって赤ん坊とはどういう存在なのかを描く。男の読者としてはやはり濃厚っていうか、生々しさを感じますねー。

2018年12月26日

過日実家に寄りましたら、梨木香歩さんの本が山積みになっていた。

(どこだか)に持って行こうと思ったんだけど、読む? と訊かれたので、反射的に「読む」と答えてしまった。で、6冊ほど借りて来たのである。


梨木香歩さんは、「西の魔女が死んだ」はいい話だったな。

さてこの本。

「西の魔女」はファンタジックな現実譚ではあったが、こちらはコテコテのファンタジーであった。おばあちゃんこそ出て来るけど。

空き家になっている近所の洋館。その庭は、近所の子供たちが入り込んでは遊ぶ場になっている。そこにあった鏡から、主人公の少女照美は「裏庭」の異世界に渡ってしまう。

照美はテルミーになり、謎めいた登場人物たちとともに、世界を繋ぎ止めるためのあるものを求めて、その裏庭世界を行脚することになる。

裏庭というのはかつて裏庭に消えた洋館の家族の、あるいは照美自身の心の裡なのである。で、照美はそこで傷を負い、傷を乗り越えて、家族の絆や自分の行く道を見つけるというお話である。ごく大雑把に言えば。

少女の成長譚、と言ってしまえばその通りだけど、一個の人間が周辺世界とどう関係していくのかみたいな大きなテーマがなかなか難しいし、イマジネーションの横溢について行けない。これも(トシゆえの^^;)感受性の危機なんだろうか・・・。

2018年11月15日

スター・ウォーズの場合ファンタジーなので、突っ込んではいけない、というのが前提ですが(笑)。

私としては、ポイントは押さえてあって良い!と思いました。以下列挙するけど、

・プリンセス・レイアの登場シーン
・武器商人はどっちにも売るのだ
・C3POへのウインク
・二つの太陽
・プリクエルみたいにギャグに堕さないクリーチャー
・時代の終わりを感じさせる
・エンドロールで泣かされる

2017年12月21日

ネタバレ
読書状況 観終わった [2017年12月21日]
カテゴリ 映画
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こ、これは…。
思っていたよりさらに酷いですね…。

1シーン1シーンを見る限りは、さすがジブリという感じで美しくもあり、ごく一部に「ここは気合い入れたな!」というアニメーションもあるんですが(レンガが崩れる場面とかね)、お話がまぁ酷い。

エピソードはブチ切れで、常に「え? なんでそうなるの?」のテンコ盛り。つじつまもへったくれもありません。テンポも悪く、ストーリー運びも場面展開も鈍重の一語。すべてにおいて説明不足で、「真(まこと)の名」とか「影」や「竜」の正体とか「肌の色」とか大切なキーワードも一向に立ちません。期待の「テルーの唄」もあまりにも唐突で、萎える以前にどっちらけです。目を背けたくなりました。

そもそもテーマ(この映画を通して描きたかったこと)はなんでしょうか? 原作にあるような存在の切実さ? アレンの成長(救済)物語? 「均衡」を取り戻すための勧善懲悪? アレンとテルーとの触れ合い? どれだとしてもまったく中途半端。
敢えて言えば「父殺し(吾朗君による駿氏殺し)」かも知れませんが、説得力はゼロです。

ただの「絵」です。
優秀なジブリスタッフ見殺し。
いや、絵があるぶんこれから「Earthsea」シリーズを読む人をミスナビゲートする(ひいては文学の宝を不当に貶める)犯罪的行為とすら言っていいのではないか。

やっぱ見るんじゃなかった。

2008年7月14日

小学生の頃だったかなぁ。

「五次元世界のぼうけん」(あかね書房:渡辺茂男訳)という児童文学を読んで、いたく胸ときめいたことがあります。

ときめいたと言っても、主人公メグのニックネームが「メガパーセク」といって、それが326万光年という途方もない距離を表す単位だった(3260万光年と書いてあったような気もするが)、で、そんな名を持つ女の子にどきどきした、ということくらいしか覚えていなくて、どんな話だったかなぁ、いつか読み返したいなぁ、と思っていたのでした。

ところがある日、その本が図書館にあることに気がつきました。

でも憧れの人って、いざ手が届くところに来ると、却って引いたりするじゃないですか(笑)。昔おもしろいと思った本も、今読み返すとガッカリすることが多いわけです。

うーん、どうしよう。
とジレンマに陥ったところで、はっと閃きました。
勉強がてら、原書で読んじまえ(児童文学なんだし)。そしたら、どうせアメリカ語なんて読めないんだからガッカリもしないだろ! そうだそうだ!

というわけで、買ってみました。

買ったのは、1993年の復刻版です。

復刻版が出るくらいですから、アメリカでも読み継がれているんですかねぇ。(著者は数々の文学賞を受けている。20年前に死去)

Wrinkleというのはドモホルンリンクルのリンクルで、皺です。「時の皺」というのはつまり、ワープとか亜空間航法とか、そういう手法を使って時空に皺を寄せるように端折り、遠い異世界で邪悪なものに囚われているおとーさんを救いに行く話なのです。
(テーマは当然、愛です)

ほぉー。
そんな話だったかぁ。

まったく、筋のすの字も覚えていませんでした。
胸ときめいた「メガパーセク」のくだりもものすごくアッサリしていて(てゆーか1行)。
登場人物のリンカクも全然違う(邦訳ではカットされていた人物もいるらしい)。
しかも完結していない(笑)(4部作の第1作なのでした)。
原書に当たるというのは、おもしろいねぇ。(←少し、意味が違う気がする)

ま、なんだかんだ、楽しいひとときではありました。

2006年9月6日

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