恥辱 (ハヤカワepi文庫 ク 5-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200427

感想・レビュー・書評

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  • あまり共感できない。
    ノーベル賞を取るだけの作品だろうか?

    ただ一つ思うのは、これは転落を描いた作品ではないということ。
    文学を愛する、文学的に生きる自己本位な彼にとって、内なる情熱は肯定されるべきものであり、転落は創造の糧である。恥辱に耐えることは、彼なりのロジックに置き換えられ昇華される。

    センターだったら不正解な解釈だとは思うが。
    とりあえず物足りない。

  • 本当は『悪い年の日記』が読みたい

  • 利己的過ぎる主人公。自分中の鑑。でも彼が賢いからこそそのような性格や思考やらが作られたのだと思います。特に分析力がすごい。人の気持ちを自分なりに探り、分析できる冷静さは類稀なるものだなぁと感心していました。まぁその冷静さを持ってしても欲望には逆らえないんですよね。

    彼は自分の欲望によって道なき道を手探りで進むことになります。恥辱に溢れた人生を切り開いてしまったわけです。でもそんな井戸の底のように(客観的にいって)惨めな生き方の中で彼の考え方が変わっていったり、大切なものを見つけることができたりと獲得するものはあるんですね。ただ、獲得しただけであって、それを彼はどうすることもできないと悟っている。この、もどかしくもありながら、しっかりと状況を受容していく彼の態度が浅はかなものでなくてとても良いです。

    後、レズビアンの娘が男に犯されるシーン。あれがすごく悲しかった。強い彼女の弱さが見えてすごく痛々しかった。この作品に引き込まれて眠さも忘れ、夜通し、読み耽っている自分がいました。大学生の特権ですね。すみませんでした。

  • 恐ろしい話だと思った。
    同時に、誰にでもありえる話だと思った。

    ただ、個人的には「転落」という言葉がしっくりこない。
    「しぶとい」の方がしっくりくる。

    「犬」というモティーフが何度も出てくるように。

    犬畜生として生きるのは転落なのかな?
    私にはそう思えない。
    ただの根源的な生命力を感じた。

    なので転落とは思えない。
    それに彼らはあまりに人間的すぎる。
    頑固でより自分を正しいと思い「相手」を変えたいと思いすぎる。
    主人公の変化は終盤の終盤に明かされ、そこで終わる。

    なのでただの人間そのもの、畜生のお話です。
    だから面白かった。

  • <女学生に手を出したラウリー教授。世間からの非難を逃れ、娘の暮らす田舎へと足を踏み入れるが・・・>

    J・M・クッツェー

    もうひとつのブッカー賞受賞作。
    女学生に手を出した大学教授の転落劇を、打ちのめすような迫力で描いています。
    クッツェーは徹底して主人公を痛めつける。
    池澤夏樹いわく、クッツェーは登場人物から様々なものを<奪う作家>だ、と。

    フォークナーからはアメリカ南部の暴力の匂いがする。
    そしてクッツェーからは南アフリカの暴力の匂いがする。

  • 大学教授が転落していくストーリー。
    転落部分である「セクハラ事件」の部分は、単なる導入にすぎず
    その後、娘が住んでいる南アフリカへ行って、更なる事件に巻き込まれ
    る…という話。

    随分と読むのに時間がかかってしまいました。
    どの人物にも殆ど共感が出来ないままだったからかなぁ。
    テーマが沢山あって、どれもそれなりに重く、転落以降のページの進みが遅かったです。

    南アと西欧の軋轢、セクハラとレイプ、動物愛護と処分…

    絶望的の時に、それをどう受け入れ自分の中で処理していくか。
    主人公と娘の対称性が印象的でした。

  • 【最初のページ】
    52歳という歳、まして妻と別れた男にしては、セックスの面はかなり上手く処理してきたつもりだ。

    【感想】
    南アフリカ版、「人間失格」。一瞬の欲情に勝てなかった古文学の教授が、娘の暮らす南アフリカの片田舎に追われ、そこで更なる恥辱を味わっていく。どん底まで落ちてもさらに底がありそうなリアリズムの中で、地面スレスレに飛んでる紙飛行機のような希望をかすかに感じる文体です。

    表紙の絵とタイトルから各所から「エロ本でしょ?」「エロ本でしょ?」と笑われるのですが、まあ一度読んでみぃ。

    【購入の経緯】
    別の流れで読んでいた『“動物のいのち”と哲学』(ISBN: 978-4393323298) で紹介されていたことから。

    【読みやすさ】
    読みやすい。海外文学特有のリズムはありますが、読みやすくどんどんページが進みます。原語のリズムを味わいたくなる翻訳。

    【こんなときに読みたい】
    うーん。特に読みたい!となる季節はないと思うのですが、地域研究したい人や、世界の深淵まだまだやで、ということを味わいたいときにオススメ。リアリズム小説で有名なブッカー賞作家なので、こんな現実が実際にあるのだ、ということを真正面から突きつけられます。

  • セクハラと職権乱用で失職した52歳の元大学教授のラウリーが、田舎で農園を営むレズビアンの娘ルーシーや犬たちとの関わりを通して、自分を見つめ直すお話。

    ずっしり重たいけれど良い小説。

    序盤のケープタウンではわからなかったけれど、ルーシーの住む田舎に舞台が移り、「あ、この小説の舞台は南アフリカなんだ」と遅まきながら気づいた。登場人物の描写において肌の色について述べられていなかったから気づかなかった。人種間の深い溝が重さのひとつ。

    二つめは、ある事件をきっかけに浮き彫りにされるラウリー親子の溝。父娘ともに頑なで溝は埋まるどころか深まる一方。

    三つめは、動物の生や魂の問題。

    こられの問題は解決の手掛かりすら見つからず終わる。読後感は良くない。それでも、シニカルで毒舌家のセクハラオヤジが、田舎での生活でも、うまくはいかなくても、諦めずもがきつづける姿が救い。

  • 本書は割とリアルな大学教授の転落の人生を描いたものだ。
    だけど、これはただのセクハラ転落だけの物語ではない。これが実に強烈で刺激的。
    人間とは何なのか、人にとって栄辱とはどういうものなのかがテーマだ。

    帯には、「中年男がたどる悔恨と審判の日々」とあったんだけど、私はデヴィッドはには悔恨の情などこれっぽっちも感じなかった。そもそも悪いことだと思ってはいないもの。それにデヴィッドは中年というよりは初老といったほうがふさわしいし。しかし開き直っているその態度はなぜだか憎めない。
    適当に謝っておけば、なんとか大学にはいられたかもしれないのに、そういうことができない。
    欲望にも自分にも正直すぎる。
    彼にとって、女性学生とのことは情熱もしくは彼の言葉を借りるならば「エロスが舞い降りた」ことだったのだ。レイプではない。合意の上でのセックスだ。彼女もそれを受け入れていた。
    「それの何がいけなかったのだ?」とデヴィッドは”審判”のくだるその時まで思っていることだろう。

    昔デヴィッドの家の近所に住んでいたオスのゴールデンレトリバーは、なぜメス犬が通りかかる度に萎縮するようになったのか。
    それは、ゴールデンレトリバーが雌犬に反応する度に、人間から懲らしめを受けたせいだ。以来メス犬をみると耳を下げ、怖がるようになった。
    犬はなにかいけないことをしたのか?とデヴィッドは思う。
    動物が本能に従い行動することは、どれほどの罪なのだ?
    そして今回のセクハラ騒動で周囲が自分にしようとしていることは、全くこのゴールデンレトリバーに人間がしたことと同じじゃないか、ディビッドはそう思う。

    「犬と人間は違うだろう?」と良識ある人々は言うだろう。人間は性欲などの本能を理性で制御できるからこそ、人間なのだと。
    しかし、アフリカのような原始的な土地において、動物と人間の間にはいかほどの違いがあるのだろう?いや、原始的な土地でないにしても。
    そう皮肉めいた口調で、クッツェーに問いかけられる。

    本書は明らかにカフカの「審判」を強く意識して書かれている。ヨーゼフ.Kは、デヴィッドそのもの。
    デヴィッドのみならず、娘のルーシーさえもKかもしれない。
    Kは一体自分がどんな罪を犯したのかまるで理解できないままに、”犬のように”殺されていく。
    デヴィッドもまた、その不条理な運命を仕方ないなといって受け入れ、審判が下されるその日まで生きる他にすべはない。

    「恥辱」のストーリーはどうしようもなく救いがない。しかしこれがなぜか悲哀を感じさせない。ユーモラスですらあるのだ。
    これがこの小説の凄いところだと思う。

  • 大学教授が転落して行くストーリー。物事の善悪って、罪に対する審判って、突き詰めるとヨクワカラナイ。それを見事な構成と展開で描き切った作品。クッツェーは天才です!

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著者プロフィール

1940年、ケープタウン生まれ。ケープタウン大学で文学と数学の学位を取得して渡英、65年に奨学金を得てテキサス大学オースティン校へ、ベケットの文体研究で博士号取得。68年からニューヨーク州立大学で教壇に立つが、永住ビザがおりず、71年に南アフリカに帰国。以後ケープタウン大学を拠点に米国の大学でも教えながら執筆。初の小説『ダスクランズ』を皮切りに、南アフリカや、ヨーロッパと植民地の歴史を遡及し、意表をつく、寓意性に富む作品を発表して南アのCNA賞、仏のフェミナ賞ほか、世界の文学賞を多数受賞。83年『マイケル・K』、99年『恥辱』で英国のブッカー賞を史上初のダブル受賞。03年にノーベル文学賞受賞。02年から南オーストラリアのアデレード郊外に住み、14年から「南の文学」を提唱し、南部アフリカ、オーストラリア、ラテンアメリカ諸国をつなぐ新たな文学活動を展開する。
著書『サマータイム、青年時代、少年時代——辺境からの三つの〈自伝〉』、『スペインの家——三つの物語』、『少年時代の写真』、『鉄の時代』、『モラルの話』、『夷狄を待ちながら』、『イエスの幼子時代』、『イエスの学校時代』など。

「2023年 『ポーランドの人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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