灯台守の話 (白水Uブックス175)

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560071755

感想・レビュー・書評

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  • 盲目の灯台守ピューが、孤児になった少女シルバーを引き取り、灯台守の見習いにする。2人は物語を語り合い、闇にまみれた灯台での生活を重ねる。

    とても不思議な本だった。翻訳物は難しい。岸本佐知子さんの訳はとても自然で美しかった。それでも、あまり内容を掴みきれなかった。でも、惹かれ続けて読むのをやめられない。そんな本だった。
    またいつか読み直したいと思う。


    …どんな辛い経験をした人でも、恋をして人生が輝き、美しい時間がある。

    アイ ラブ ユー
    この世で最も難しい三つの単語、

    「で、その誰かさんに、お前さんは私わしが言ったとおりのこと言ったかい?」
    「もしも誰かを愛したら、そのとおりに言うこと」
    「ああ、そうだ」
    「ピューに言われたとおりにしたわ」
    「そうか、うん。それでいい」
    「愛してるよ、ピュー」
    「うん、何だね?」
    「愛してる」

    〈物語ること〉で人は救われる、と、作者ウィンターソンは言っている。「自分を物語のように話せば、それもそんなに悪いことじゃなくなる」という台詞があった。確かにそうかも…と自分にも思い当たる経験がある。辛い思いをしている人に、その経験から抜け出せない人に、物語ることの不思議さを体験して欲しい。

  • 灯台がずっと気になっている。海に行けばポツンと立っているけれど、荒れた日にもしっかりしているししばしじっと見てしまいます。世の中には同じような人がいて、フリーペーパーまで発行している。「灯台どうだい?」https://toudaifreepaper.jimdofree.com/
    そんな流れでこの本もずっと手元にあったのですが、海が恋しくなって読んでみる。思っていたのと、内容は全く違う「文学」でした。しかもちょっと苦手なタイプの。たくさんの寓意が込められているのは理解できるのですが、その象徴とるのものの描き方が自分の許容をこえているというか。崖に文字通り斜めに突き立った家に命綱をつけながら住んでいて、母親は転落ししてしまった・・・の冒頭でひっかかってしまってなかなか胸に響かない。目覚めたら一匹の虫になっていた不条理は受け入れられるのに。ダーウィンもでてくるのですが、2004年の作品でありながら自然淘汰のとらえ方も間違ってるし。ちょっと鼻につく表現が合わないのかな?この自分の受け皿の限界がどの辺にあるのか謎。ばかばかしいSFとかは楽しめるのになぁ。
    孤児にしてカルト的な教会の説教師にまでなってあげくに追放という経歴をもつ著者自身に興味がわいた。自伝的要素をもつ「オレンジだけが果物じゃない」のほうが面白そうだし、なにより純粋に灯台を深堀りしたほうが楽しそうだ。

  • さあトリスタン いま連れて帰ってやるからな

    洞穴の内壁は隙間なく化石で埋め尽くされていた
    ふいに世界が静止した
    彼は何者かの領域を侵してしまったような気がした
    自分がいるべきでない時にきてしまったような

    不完全な世界など彼は望まなかった
    この世はもっと高貴で祝福に満ちた
    不変のものであるべきだった

    この世界はじゅうぶん美しく素晴らしく偉大ですよ
    ただほんの少し落ち着きがないというだけでね
    ダーウィンは彼を慰めようとして言った

    もしかしたら神などいないのかもしれない
    前々からそんな気はしていたのだ
    自分が寂しいと感じるのは
    本当に誰もいないからなのではないか

    彼はポケットの中のタツノオトシゴに手を触れた

    イゾルデ

    あなたはいま どこにいるのだろう

    トリスタン

    あなたとわたしが出会うために世界は創られた
    その世界はすでに形を失い 海に還ろうとしている
    あなたの脈に合わせて わたしの脈も弱まっていく
    死が離別の苦しみから二人を解き放ってくれる
    あなたと離れることなどできない
    あなたはわたしだから

    世界は無だ
    愛がそれを創ったのだ
    世界はあとかたもなく消え失せる
    愛だけを残して

    洪水の前の場所へ


  • 翻訳物が好きだ。
    脳からそのまま出力されたのではない言葉は、
    事象に対して多分に真摯だ。

    出だしの文にやられた。
    「母さんはわたしをシルバーと名づけた。わたしの体は銀と海賊とでできている」
    なんて素敵な表現なんだろう。
    こんな素敵な文章が随所にある。
    それを眺めるだけでもとっても幸せだった。

    最初、少し勘違いをしていた。
    ピューとシルバーを起点として、流転していく物語かと思っていた。
    なんと言ったらいいか、わからない。
    でもいつの間にか愛について私は読んでいた。
    私だって救いようのないロマンチストだし、愛こそがもっとも価値のあるものだと思っている。(その解釈が物語りや他の人と同一である確証はないけれど)
    恋は近年の発明だ。
    子どももそう遠くはない昔に見出された。
    それに伴って母性愛も。
    さらに新しく父性愛も。
    それらに較べたら愛の歴史ははるかに長い。
    だが、自然のものではない。
    ダーウィンの進化論のように、起源をもとめて物語りは彷徨う。
    見つけて、見失って、結局それが本質なのかもしれない。

    ひとつだけかわらないのは、物語であり言葉だった。
    灯台守、彼らが護る灯火そのもの。
    だから、灯台守の話、なのだ。
    岸本さんの翻訳が素晴しいと思った。

  • 荒い波のうねりを背景音に、開いた傷口のようなヒリヒリする孤独が描かれている。図書館のくだりでは思わず貰い泣きしそうになった。まさかこのシーンで泣かされるとは、とびっくりした。

    灯台守が女の子に聞かせる物語は、自らの手で自分も家族も損なってしまったろくでもない男の人生だ。でも女の子はそこから物語の効用をつかみ取り、なんとか自分の脚で立てるようになる。駄目男の人生は失われてしまったのではなくて、その上に灯台守の、または女の子の人生が折り重なっていく。

    駄目人間でも一人ぼっちでもだいじょうぶ、心を開いておこう、なにか温かくて眩しいものが降りてくるかもしれない。そういう気持ちになった。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「ヒリヒリする孤独が描かれている」
      ウィンターソンは、重いけれど何となく清々しく感じてします。
      「ヒリヒリする孤独が描かれている」
      ウィンターソンは、重いけれど何となく清々しく感じてします。
      2012/09/14
    • なつめさん
      この本であんまり「がーん」となったので、ほかの本にまだ手が出せていないのです
      この本であんまり「がーん」となったので、ほかの本にまだ手が出せていないのです
      2012/09/14
  • 母と二人きり、断崖絶壁で暮らしてきたシルバー。落下事故で母を亡くし、行くあてのないシルバーを引き取ったのは、岬の灯台に住む盲目の老人ピュー。代々灯台守の家系だと話すピューは、船乗りたちに聞かせるための物語をいくつも持っていた。灯台の仕事を手伝い始めたシルバーに、ピューは相反する二つの暮らしを両立させようとして失敗した男 バベル・ダークの物語を語り聞かせる。


    父親のいない子として町からはじき出されて生きてきたシルバーは、やがてピューとも離ればなれになり、常に自分の居場所を探し続けなくてはならない人生を歩む。そんなとき、自分をも物語にしてしまうこと、物語は灯台のような光だと教えてくれたピューの言葉がシルバーの支えになる。この小説には寓話のような語り口と西暦がはっきり示される歴史小説のようなパートとほとんど詩といえる断片的な語りが混在しているが、これは語り手であるシルバーが物語るための〈声〉を手探りしている状態をも表しているのだと思う。冒頭の母娘二人の生活はまるで絵本のように描かれ、灯台を去ってからの日々はリアリズム小説のように具体的に描かれる。自分の人生を物語にするには、時間的な隔たりも必要ということかな。
    ピューもシルバーと同じく自分のことを物語にしてしまった人間だ。ピューの家系が代々灯台守をやっていて、その始祖がバベル・ダークの血を引いているという話は出来すぎていて怪しい。最初のほうでシルバーに語り聞かす「自分自身に物語を語りながら岬に辿り着いて生き延びた船乗り」の話が、実際のピューの身の上話なんじゃないかと思う。ダークの二重生活はピューがシルバーに残した『ジキル博士とハイド氏』『種の起源』からつくりだしたお話で、だからピューはダークと会って話すこともできる。
    ダークの物語は、個人的には『ジキル博士とハイド氏』よりホーソーンの「ウェイクフィールド」を連想するところが多かった。幻想小説であるジキルとハイドより日常的な描かれ方をしている分だけ罪深く、そこに人を試すような気持ちが隠れている点で近いと思う。このお話がピューにとって大事だったのか、シルバーのような生まれの子を慰撫するためにつくったのかはわからないけど。
    「その最初の夜、ピューは闇の中でソーセージを焼いた。いやそうじゃない、闇といっしょにソーセージを焼いた。その闇には味があった。それが夜の食事だった。ソーセージと、闇と。」「それからわたしたちは、たった一つ残っているグラスを、たった一つ残っている水道でそっと洗い、たった一つ残っている虫食いだらけの棚にもどし、窓から射しこむ月の光の中にきらめくグラスを残したまま、石灰殻を敷いた小道をゆっくり歩いて、灯台に戻っていった。」など、夜の景色が印象的だった。灯台は夜にこそ必要とされるものだから。

  • 今にも崖からおちそうな家で、命綱をしながら暮らしていた少女シルバー。母親がなくなったことで、孤児となり灯台守ピューとともに暮らすことになる。

    ピューが彼女に教えたのは灯台の「灯を世話すること」、そしてそれ以上に大切な、「物語る」こと。
    それは人生という航路の中で、ときに道に迷う私たちを、導いてくれるものだから。

    美しい海辺の描写の中、重層的に語られていく静謐な愛の物語。
    こういうお話が私は好きだ。

  • 書評ブログ『ボヘミアの海岸線』で星5のお気に入り作品に選ばれていたのをみた日からずっと読みたくて、5年間ほど積んでいたのをようやく読んだ。
    ……好みじゃなかった!笑

    単線的でない重層的な語りの構成や、〈物語(ること)〉礼賛というテーマなど、ありきたりなポストモダン現代文学の優等生って感じ。
    バベル・ダークの二重生活不倫痴話も退屈。
    灯台や物語を愛する私たち、を自己陶酔的に愛撫するような姿勢も気に入らない。
    作中で、人間的な機微が分からない”嫌なひと” として造形されているミス・ピンチが結局いちばん好きだった。

    ラストには驚いた。徹底してミス・ピンチを「嫌なひと」として描いておいて、最後の最後で哀れな境遇だったことを明かして、その「嫌な性格・振る舞い」に同情的な理由付けをする。馬鹿にしすぎだろ。登場人物を。そして読者を。

    要するに、本作は「わたし」(シルバー)やピュー、ダークらの主人公サイドの人物にはすこぶる甘くて優しくて、そんな自分たちを肯定するための踏み台として、ミス・ピンチのようなサブキャラを配置している、という残酷な構造をとっている。それが自分にはどうも受け入れがたい。

    でも、皮肉なことに、けっきょくいちばん魅力的なのは、そんな「嫌な奴」であるミス・ピンチと「わたし」が触れ合って言い合っている場面である。上の引用の直後に「わたし」が思い出すのが「カモ丸ごと一羽の羽根ぶとん」をかぶって眠ろうとした夜であるのが象徴的だ。

    振り返れば、最初のほうが(まだ)いちばん面白くて、どんどんつまらなくなっていったというか、苦手な作品姿勢が次第にあらわになってきて落胆していった。
    冒頭の、崖っぷちに建つナナメの家でお母さんと暮らしている描写や、ミス・ピンチの家で一夜を明かし、ピューに引き取られた直後くらいが面白さのピーク。「二人のダーク」の挿話もぜんぜん面白くない。スティーブンスン『ジキル博士とハイド氏』やダーウィン『種の起源』への言及/活用なども、作品に雑に深みを出そうとしてるな〜という小手先感が……。

  • 3度目くらいの再読。『オレンジだけが果物じゃない』の方が好き。バベル・ダークとピューの語る物語のなかに、他の物語が差し込まれる。この感じは『オレンジだけが果物じゃない』と同じ。でも、『灯台守の話』は断片的で、何度も何度も色んな形の愛を語る。まるで波のようだ。シルバーは死んでしまった母親にも、引き取ってくれたピューにも愛されていたのに、物凄く愛に飢えている。シルバーなのか作者なのかこの目線の先にあるひとは、女性ばかりなのも面白い。

  •  タツノオトシゴが表紙でとても惹かれる。物語のなかでも重要なアイテムだ。牧師として生きたダークという物語のなかで発見した化石と進化論。神がなぜ変わり続ける世界を作ったのか。神と共に歩む生活への動揺を持ちながらも、退屈な妻と、恋に落ちた別の女(マリアの処女懐胎のように、誰の子かわからないのを身ごもった)との二重生活。物語の中のダークは、葛藤し、愛することがわからなくなり、物語をうしない、分裂し、化石を手に持ったまま、海の底へと沈んでいく。

     ダークと対をなすもう一人の主人公シルバーは、みなしごになり、灯台での生活を過ごすことになる。ピューという年齢不詳の聖霊のような存在と暮らすのだが、あるとき、文明・技術の発達によって灯台守は不要となり、追い出される。(最後にまた戻ってくるが)

     ダークが愛していない妻をボコボコにするところや性暴力の場面は非常にリアルで、斜めに傾いていた家の話をしていたころのシルバーのエピソードはどこへやらの恐さだ。6時間ほどまたせる場面なども含めて、女性陣はダークを許せないだろう。それでも牧師の妻としてふるまう嫁の姿に、悲しくなる。愛は悲しすぎるものとして、ダークの場合、表現されている。

     しばらくするとダークとシルバーが交差する。どう交差するかというと、シルバーの人生のほうがリアルになってきて、ダークがファンタジーになっていくのだ。この小説は、ダークとシルバーという二つの物語を使って、ダークはリアルからファンタジーへ、シルバーはファンタジーからリアルへと、×の形に展開させていく作りになっているように思う。
     最初は精子卵子から、斜めに傾いた家の場面でスタートしたシルバーは、最後の方では女性同士でセックスしながら携帯を充電しているという「上海ベイビー」に出てきそうな状態に。ダークは逆に、海の底に沈んでいく、なにかしら幻想的な感じになっている。

     図書館でのやりとりから、物語を追いかける展開が好きだ。身分証明書を見せてくださいなど、めちゃんこ意地悪に書かれているのがたまらん。こういう司書像は、逆に今は新鮮なのだ。それからストーリーを横取りされて、家まで追いかけてまで物語を読もうとするシルバーの精神。つまり「物語を求める心」と「理性的なもの」「進歩的なもの」は「違う」というのが書かれているのが面白かった。物語を求める、もしくは愛は、理性でも本能でもない、というのが、この本全体で書かれていることではないか。

     シルバーが突然大人の女になり、よくわからない「あなた」といちゃこらするのだが、なんかこう課長島耕作か黄昏流星群みたいになっている。
    『チップ係と話しているあいだ、わたしたちはずっと手をつないでいた。人生は短く、無数の偶然であふれている。わたしたちは出会い、わたしたちは出会わず、まちがった方向に進み、それでもやっぱり偶然出会う。念入りに“正しい道”を選んで、けっきょくどこにも行き着けない。「お気の毒に」わたしは彼に言った。「これ、ありがとさん」彼はチョコレートを持ちあげてみせた。「うちのやつ、きっと喜ぶよ」

     この場面、一瞬、彼という言葉が出てくるので、あなたって男かなと思うのだが、やっぱり言葉遣いが女だ。シルバー、いつのまにかレズというか同性愛として生きてらっしゃいます。携帯電話を充電したり、同性愛のセックスとか、妙に現代的なものを書きつつも、灯台守とか、ライラの冒険みたいなファンタジー世界を織り交ぜていて、リアルとファンタジーが渾然一体となっていて、それでいて引きつけるものがある良い小説だと思う。

     最後に、この話、母親が死んでいることが大事だ。もし母親が生きていたら、この子はこんな風に振る舞えないし、ずっと傾いた家にいたままだっただろう。母が私のために犠牲になってくれた。シルバー最大の不幸にして幸運は、ここにある。

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著者プロフィール

1959年、イギリス生まれ。福音伝道主義クリスチャンの家庭に養女として迎えられたが、女性との恋愛関係を理由に10代で家を出る。1985年に半自伝的小説『オレンジだけが果物じゃない』で作家デビュー。

「2022年 『フランキスシュタイン ある愛の物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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