- Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560071755
感想・レビュー・書評
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盲目の灯台守ピューが、孤児になった少女シルバーを引き取り、灯台守の見習いにする。2人は物語を語り合い、闇にまみれた灯台での生活を重ねる。
とても不思議な本だった。翻訳物は難しい。岸本佐知子さんの訳はとても自然で美しかった。それでも、あまり内容を掴みきれなかった。でも、惹かれ続けて読むのをやめられない。そんな本だった。
またいつか読み直したいと思う。
…どんな辛い経験をした人でも、恋をして人生が輝き、美しい時間がある。
アイ ラブ ユー
この世で最も難しい三つの単語、
「で、その誰かさんに、お前さんは私わしが言ったとおりのこと言ったかい?」
「もしも誰かを愛したら、そのとおりに言うこと」
「ああ、そうだ」
「ピューに言われたとおりにしたわ」
「そうか、うん。それでいい」
「愛してるよ、ピュー」
「うん、何だね?」
「愛してる」
〈物語ること〉で人は救われる、と、作者ウィンターソンは言っている。「自分を物語のように話せば、それもそんなに悪いことじゃなくなる」という台詞があった。確かにそうかも…と自分にも思い当たる経験がある。辛い思いをしている人に、その経験から抜け出せない人に、物語ることの不思議さを体験して欲しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
灯台がずっと気になっている。海に行けばポツンと立っているけれど、荒れた日にもしっかりしているししばしじっと見てしまいます。世の中には同じような人がいて、フリーペーパーまで発行している。「灯台どうだい?」https://toudaifreepaper.jimdofree.com/
そんな流れでこの本もずっと手元にあったのですが、海が恋しくなって読んでみる。思っていたのと、内容は全く違う「文学」でした。しかもちょっと苦手なタイプの。たくさんの寓意が込められているのは理解できるのですが、その象徴とるのものの描き方が自分の許容をこえているというか。崖に文字通り斜めに突き立った家に命綱をつけながら住んでいて、母親は転落ししてしまった・・・の冒頭でひっかかってしまってなかなか胸に響かない。目覚めたら一匹の虫になっていた不条理は受け入れられるのに。ダーウィンもでてくるのですが、2004年の作品でありながら自然淘汰のとらえ方も間違ってるし。ちょっと鼻につく表現が合わないのかな?この自分の受け皿の限界がどの辺にあるのか謎。ばかばかしいSFとかは楽しめるのになぁ。
孤児にしてカルト的な教会の説教師にまでなってあげくに追放という経歴をもつ著者自身に興味がわいた。自伝的要素をもつ「オレンジだけが果物じゃない」のほうが面白そうだし、なにより純粋に灯台を深堀りしたほうが楽しそうだ。 -
さあトリスタン いま連れて帰ってやるからな
洞穴の内壁は隙間なく化石で埋め尽くされていた
ふいに世界が静止した
彼は何者かの領域を侵してしまったような気がした
自分がいるべきでない時にきてしまったような
不完全な世界など彼は望まなかった
この世はもっと高貴で祝福に満ちた
不変のものであるべきだった
この世界はじゅうぶん美しく素晴らしく偉大ですよ
ただほんの少し落ち着きがないというだけでね
ダーウィンは彼を慰めようとして言った
もしかしたら神などいないのかもしれない
前々からそんな気はしていたのだ
自分が寂しいと感じるのは
本当に誰もいないからなのではないか
彼はポケットの中のタツノオトシゴに手を触れた
イゾルデ
あなたはいま どこにいるのだろう
トリスタン
あなたとわたしが出会うために世界は創られた
その世界はすでに形を失い 海に還ろうとしている
あなたの脈に合わせて わたしの脈も弱まっていく
死が離別の苦しみから二人を解き放ってくれる
あなたと離れることなどできない
あなたはわたしだから
世界は無だ
愛がそれを創ったのだ
世界はあとかたもなく消え失せる
愛だけを残して
洪水の前の場所へ
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荒い波のうねりを背景音に、開いた傷口のようなヒリヒリする孤独が描かれている。図書館のくだりでは思わず貰い泣きしそうになった。まさかこのシーンで泣かされるとは、とびっくりした。
灯台守が女の子に聞かせる物語は、自らの手で自分も家族も損なってしまったろくでもない男の人生だ。でも女の子はそこから物語の効用をつかみ取り、なんとか自分の脚で立てるようになる。駄目男の人生は失われてしまったのではなくて、その上に灯台守の、または女の子の人生が折り重なっていく。
駄目人間でも一人ぼっちでもだいじょうぶ、心を開いておこう、なにか温かくて眩しいものが降りてくるかもしれない。そういう気持ちになった。-
「ヒリヒリする孤独が描かれている」
ウィンターソンは、重いけれど何となく清々しく感じてします。「ヒリヒリする孤独が描かれている」
ウィンターソンは、重いけれど何となく清々しく感じてします。2012/09/14 -
2012/09/14
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母と二人きり、断崖絶壁で暮らしてきたシルバー。落下事故で母を亡くし、行くあてのないシルバーを引き取ったのは、岬の灯台に住む盲目の老人ピュー。代々灯台守の家系だと話すピューは、船乗りたちに聞かせるための物語をいくつも持っていた。灯台の仕事を手伝い始めたシルバーに、ピューは相反する二つの暮らしを両立させようとして失敗した男 バベル・ダークの物語を語り聞かせる。
父親のいない子として町からはじき出されて生きてきたシルバーは、やがてピューとも離ればなれになり、常に自分の居場所を探し続けなくてはならない人生を歩む。そんなとき、自分をも物語にしてしまうこと、物語は灯台のような光だと教えてくれたピューの言葉がシルバーの支えになる。この小説には寓話のような語り口と西暦がはっきり示される歴史小説のようなパートとほとんど詩といえる断片的な語りが混在しているが、これは語り手であるシルバーが物語るための〈声〉を手探りしている状態をも表しているのだと思う。冒頭の母娘二人の生活はまるで絵本のように描かれ、灯台を去ってからの日々はリアリズム小説のように具体的に描かれる。自分の人生を物語にするには、時間的な隔たりも必要ということかな。
ピューもシルバーと同じく自分のことを物語にしてしまった人間だ。ピューの家系が代々灯台守をやっていて、その始祖がバベル・ダークの血を引いているという話は出来すぎていて怪しい。最初のほうでシルバーに語り聞かす「自分自身に物語を語りながら岬に辿り着いて生き延びた船乗り」の話が、実際のピューの身の上話なんじゃないかと思う。ダークの二重生活はピューがシルバーに残した『ジキル博士とハイド氏』『種の起源』からつくりだしたお話で、だからピューはダークと会って話すこともできる。
ダークの物語は、個人的には『ジキル博士とハイド氏』よりホーソーンの「ウェイクフィールド」を連想するところが多かった。幻想小説であるジキルとハイドより日常的な描かれ方をしている分だけ罪深く、そこに人を試すような気持ちが隠れている点で近いと思う。このお話がピューにとって大事だったのか、シルバーのような生まれの子を慰撫するためにつくったのかはわからないけど。
「その最初の夜、ピューは闇の中でソーセージを焼いた。いやそうじゃない、闇といっしょにソーセージを焼いた。その闇には味があった。それが夜の食事だった。ソーセージと、闇と。」「それからわたしたちは、たった一つ残っているグラスを、たった一つ残っている水道でそっと洗い、たった一つ残っている虫食いだらけの棚にもどし、窓から射しこむ月の光の中にきらめくグラスを残したまま、石灰殻を敷いた小道をゆっくり歩いて、灯台に戻っていった。」など、夜の景色が印象的だった。灯台は夜にこそ必要とされるものだから。 -
今にも崖からおちそうな家で、命綱をしながら暮らしていた少女シルバー。母親がなくなったことで、孤児となり灯台守ピューとともに暮らすことになる。
ピューが彼女に教えたのは灯台の「灯を世話すること」、そしてそれ以上に大切な、「物語る」こと。
それは人生という航路の中で、ときに道に迷う私たちを、導いてくれるものだから。
美しい海辺の描写の中、重層的に語られていく静謐な愛の物語。
こういうお話が私は好きだ。 -
3度目くらいの再読。『オレンジだけが果物じゃない』の方が好き。バベル・ダークとピューの語る物語のなかに、他の物語が差し込まれる。この感じは『オレンジだけが果物じゃない』と同じ。でも、『灯台守の話』は断片的で、何度も何度も色んな形の愛を語る。まるで波のようだ。シルバーは死んでしまった母親にも、引き取ってくれたピューにも愛されていたのに、物凄く愛に飢えている。シルバーなのか作者なのかこの目線の先にあるひとは、女性ばかりなのも面白い。