- Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150311667
作品紹介・あらすじ
優しさと倫理が支配するユートピアで、3人の少女は死を選択した。13年後、死ねなかった少女トァンが、人類の最終局面で目撃したものとは? オールタイム・ベストSF第1位
感想・レビュー・書評
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最初は聞き馴染みのない慣れない言葉ばかりでなかなか読み進められなかったが、少しずつ読み進めるにつれてどんどん世界観に引き込まれた。
難しいと最初は思っても根気よく読み進めることを
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虐殺器官と対になっているハーモニー。
でも実は虐殺器官のラストとハーモニーの世界は繋がっている。(これに気づいた時震えた)のでまずは虐殺器官から読むのがオススメ。
アメリカを発端とする地球規模の暴動、戦争。
殺して殺して殺しまくった悪しき経験から、人類は様々な医療リソースを開発し『健康であること』を第一に生きるようになった。
肉体を管理するシステムを入れ、病気にならなくなった体。
酒・タバコなどの有害物質は排除。
食事などの生活習慣に関わることは全てシステムによって設計され、肥満・痩せ型がいない、全ての人が均一で健康な社会リソースとなった世界。
まずこの世界観が超おもろい。
のっけからすでに他の追随を許さないぼろ勝ち状態!
そんな世界が息苦しく、命を捨てたがる3人の少女達。その1人トァンの一人称で物語は進む。
虐殺器官はガチガチの男性一人称。女性一人称は柔らかい感じがして、こちらの方が読みやすい。てか書き分けが素晴らしい。
『意識』についての脳の働きも面白かった。
これを書く為にのにどれ程勉強したのかと思う。
虐殺器官の世界が極端なマイナスだとしたら、ハーモニーは極端なプラス。
そして最後は針が、機械が壊れ…
人間は本当に極端すぎる。100-0やん!遊びあれ!
私は例え病気が無くなったとしても、見せかけの優しさで窒息しそうになるこんな世界は嫌だし、ラストも本当に気持ち悪かった…
読了した今『ハーモニー(調和)』に込められる様々な意味に気色わるっ!てなってる…
未来の世界がこうならない事を切に祈る! -
◯毎日毎日忙しすぎて、むしろ気楽に読めると思い手に取ってみる。
◯世の中がより健康を追求したらどういう世界が起こるのかを突き詰めた世界観が面白い。まさにユートピアがディストピアである。
◯国会での審議や厚生行政を見てみると、まさにこの世界を求めているのかと思うと、ブラックユーモアを感じる。マイナンバーや電子マネーの普及が、この世界をより身近にも感じさせる。この辺りがSFの醍醐味なのだろうか。
◯しかしこの世界が実現するほどに、人間は潔癖ではないし、もっと適当で愛すべき存在ではないかとも思った。 -
早逝の作家伊藤計劃氏の最高傑作ともいわれる。一度読んだだけでは、小説の意味が分からなかった。映画をみて、さらに小説を読み返して、これが傑作だと気付かされるた。
第40回星雲賞日本長編部門、第30回日本SF大賞受賞作。 -
病気がほとんど消滅した世界で自死を選ぶ少女たち。
そこから進んでいく物語。13年後の世界で起こる世界中を巻き込む未曾有の危機。生き残ってしまった少女たちは嫌悪する世界でどう生きてきたのか。多くは語らないけどとても面白いユートピア小説だった。SFの世界観がとてもよかった。 -
ハーモニー = 調和。
全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。
辞書でも、「ほどよく」とか、曖昧…
やはり、こんな世界は、目指しても無理があるんやな。
『大災禍』の後、その過ちの反省として、自身の全て(体、心-意識か…)を捧げる見返りに、全てを管理し、良い世界を目指す。病気もなく快適なユートピアにしようと!
まぁ、結局は、ユートピアとは、反対であるディストピアなんやけど。
こんなセリフがある。
「精神は、肉体を生き延びさせるための単なる機能であり手段にすぎないかも…」
今まで、精神(心かな?)が絶対上位にあるって考えてたけど、こんな考えもあるんやと驚いた(@_@)
それなら、ラストも分からなくはない。それぞれの考えで、ハッピーエンド、または、バッドエンドになるな。
深いわ(ーー;) -
読んで良かった.
SFは好きだが、<未来の戦争>的なものには苦手意識がまだあるかもしれない. やはり印象に残るのは「善」や「意識」の定義についてだろう. 前者の方は確かに、続いているものを継続させることが善と言われているということに納得させられもした...(また書き直しておく)
ところで、双曲線的と指数的ってほぼ同義じゃないんかな..?(どうでもいい) -
・読み終わって感じたこと
伊藤Projectの映画公開当時にも読んだのですが、そのときは虐殺器官の熱に押されてあまり印象に残っていませんでした。ただ、このコロナ禍や前野さんの『脳はなぜ「心」を作ったのか』を読んで、再読してみたくなりました。読んでみて自分が意識をどれだけ崇めているのか、そしてそれを失うことへの恐怖を強く自覚させられました。
徹底された健康管理が可能となり、健康であることが至上とされる価値観の世界。コロナ禍の当初、介護施設でアルバイトしてた自分も陽性でないことや不健康でないことを証明し続けなきゃいけない、リモートで済ませなきゃいけない閉塞感。この息苦しさは作中世界の自殺者たちが感じているものに近い気がして共感がありました。そして、そのなかで息苦しく感じて辛さを意識しないようにならなければ…と考えるのはあり得るかもしれないと感じました。
前野さんの著作のなかで意識というものが受動的であると示す仮説が提示され、それに対して戸惑っていたときに本作を再読しました。読後にあの戸惑いは意識が科学的に解剖され、神の不在が証明されていくような感覚、最後の未知の世界が未知でなくなる恐怖として言語化されました。そして、意識について研究がその機能の全体像を示すようになって、人を苦しめる意識を取っ払うことも未来では可能になるんじゃないかともより考えました。
未来で意識がいらなくなり、取り除かれたら……そもそも今の時代でも社会にいるなかで自分を痛める意識が必要なのか…意識の必要性や重要性をふと考えました。 -
「大災禍」を経た21世紀後半。成人した大人たちは、WatchMeという微小な医療分子機械を体内にインストールすることが義務付けられている。それが、大多数の国家が政府ならぬ生府という統治機構へと移行した未来世界のシステム。WatchMeによって健康状態を管理されることで、人類は病の大半を克服した。人間存在は社会のリソースとして、この上なく尊重されるものとされる。究極の健康ファーストの価値観が共有され、健康に悪い食物や嗜好品は忌避されている。健康倫理のセミナーも盛んで、人々の健康意識や人命尊重意識はこのうえなく高く、安定している。
そんな管理社会に、自らの死をもって自らを尊重しよう、自分は自分なのだからとする考えで自死を試みた3人の少女。イデオローグ的な存在としてその行動を先導した御冷ミァハと、彼女の影響を強く受けた主人公・霧慧トァン、ミァハに選ばれたもうひとりの少女・零下堂キアン。しかし、自死を遂げずにトァンとキアンは生き延びた。そして13年後、世界は大きく動きだし、WHOの螺旋監察官となったトァンが、大きな事件の中心を突き進むことになる。
この物語世界にさらりと触れたくらいならば、それは、健康を保ち続けるべく各々が「自律的」に生きている世界だと読解するかもしれない。健康意識、生命を尊重する倫理観、そういったものを自発的に求め、自律的な行動で獲得する。ぱっと見には「自律性」による世界がそこにあるでしょう。しかし、そこに義務めいたものがある時点で、「自律性」を疑う必要があります。つまりは「自律性」を暗に強要する「他律性」がある。
ちょっと話が逸れます。以前、僕が考えを重ねてたどりついた「幸福感を得るための方法」の主軸となるひとつに、「他律性から逃れること」があります。本作において生命主義の下で病気の大半を克服した人類が、それなのに自殺者の数が多いというパラドックスを抱えています。生きづらさって「他律性」が関係していると僕は考えるのですが、この虚構世界の設定のなかで、それが証明されているように感じられて、考えが強化されたような想いがしました。著者による綿密な思考実験的な世界でのことですから、なおのことです。
福祉がもっと進んだらいいのに、と考える僕であっても、この小説を読んでいる最中、そこで描かれている生命主義(福祉社会の発展型)による、テクノロジーを駆使した万人による万人への慈しみや優しさの義務みたいなものへは「それは違うぞ」と感じました。良いのだけど良くない、みたいな感覚で、です。生命尊重にしたって程々にしないとこうなるのか、と、作者がつきつめて考え得た「ひとつの可能性としての世界のヴィジョン」に居心地の悪さを感じるのでした。
棲み分けだとか、他者に干渉することへ自問的であることだとかや、他者にとって他律的にすぎると思えばブレーキをかけられることだとかがまず、福祉ファーストの生命主義社会に進むのに先んじて必要ではないのかなと思いました、大真面目に現実に落とし込むように考えてみてです。ある意味で、傷つけられたり傷つけてしまったりは避けられないんだっていう前提で打開策・回避策を考えたほうがよいのかもしれない。それが、この物語の世界観への違和感との、僕なりの向き合い方なのでした。
『ハーモニー』の世界観って、実は人権への考え方がちょっと辺鄙で狭隘なところにて停止した世界なんです。そこに至るには、過去の「大災禍」からの人類全体の反省とトラウマが原動力となっていることが明かされますが、現実の世界でも、何か大きな出来事があったりするとその揺れ戻しで、反対のほうへと極端なくらいみんなの意識が傾きがちですから、フィクションとして構築された『ハーモニー』の世界だってそうなのだろうと考えなおしてみると、なにも不可解ではないな、と納得してしまえるのです。論理的な整合性がしっかり感じられてしまうくらい精密な思索とイメージのなかに、『ハーモニー』は作られている。(そんな『ハーモニー』には、『風の谷のナウシカ』へのちょっとしたオマージュも。)
作者の深く広い知識と論理力でぐいぐい物語を進めていくその牽引力には非凡なほど卓越したものがあります。社会ってどういうものなんだろう、と考えたことがある方ならば、本作の、思想的というよりも生物としての人間観に則った実際的な社会観による、演繹法によってできあがった未来世界に、時を忘れるほど没入することができるでしょう。おもしろかったです。