- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163912264
作品紹介・あらすじ
さまざまな苦難に耐えながら、彼らは強く生き抜こうとする。 在日コリアン一家の苦難の物語は戦後へ。 「物語」というものの圧倒的な力を見せつける大作は1989年に幕を閉じる。 劣悪な環境のなかで兄嫁とともに戦中の大阪を生き抜き、二人の息子を育てあげたソンジャ。そこへハンスが姿をあらわした。日本の裏社会で大きな存在感をもつハンスは、いまもソンジャへの恋慕の念を抱いており、これまでもひそかにソンジャ一家を助けていたという。だが、早稲田大学の学生をなったソンジャの長男ノアが、自分の実の父親がハンスだったと知ったとき、悲劇は起きる―― 戦争から復興してゆく日本社会で、まるでパチンコの玉のように運命に翻弄されるソンジャと息子たち、そして孫たち。東京、横浜、長野、ニューヨーク――変転する物語は、さまざまな愛と憎しみと悲しみをはらみつつ、読む者を万感こもるフィナーレへと運んでゆく。巻措くあたわざる物語の力を駆使して、国家と歴史に押し流されまいとする人間の尊厳を謳う大作、ここに完結。 AppleTVでドラマ化決定。
感想・レビュー・書評
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この構想を30年間も温めていたとは。
四代記は統治時代という難しい時期から始まる。
韓国ドラマみたいというレビューを見かけたけど人物設定やストーリーラインが波乱万丈という点では頷ける。聖人を体現化したようなイサクに反してハンスは女の敵を絵に描いたようだと思ったけど、ここまで抜け目がないと一周まわって潔く見えてしまう笑
それから大阪の地名といい、細部まで丹念に研究されていたことがよく伝わってきた。会話に関しては日本人の発言にしては攻めたことを言うな、と思うこともあったけど。あとこれは翻訳された池田さんの手腕だけど会話の関西弁も思ったよりナチュラルだった!(東京都ご出身というのがまた意外)
全然言える立場じゃないけれど、それでも上巻は只々申し訳なくて心苦しかった。命があっても不憫でしかないのか。
下巻では戦後活気が戻る一方で、少しでも理想の生き方に近づこうと皆が死にものぐるいで手を伸ばす。暗澹たる上巻から解放されたと手放しで喜ぶわけにもいかない。これ以上誰もいなくならないでと終始願っていた。
「なあ、人生ってやつには振り回されるばっかりやけど、それでもゲームからは降りられへんのや」
タイトルの意味はわりとすぐに分かってくる。
パチンコをはじめとしたギャンブルには手をつけたことがないし、読了したからと言ってそれがプラスイメージに変わることは正直なところない。
でもこうしてこの四代記を追っていると、生きるって行為は一か八かなんだというのがひしひしと伝わってくる。そうであっても、この先どう転がったとしても、その動きが他の誰かに操作されたものであって欲しくない。
今はそう信じていたい、というか信じている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジェットコースターのように目まぐるしく第3世代、第4世代の話が展開します。ストーリーテリングは巧みですが、不満もあります。それは、上巻の質屋でのやりとりで見せたように臨場感や表現の豊かさがなくなり、あらすじを読まされる感じです。悦子やフィービーが、突然、日本人の朝鮮人差別に嫌悪感をあらわにし、米国を美化しますが、唐突です。パチンコを容認できないのは、庶民をギャンブル依存症にして収奪し、ボロ儲けする合法の麻薬産業的存在だからです。たわいもないゲームとは言えません。被爆者ヨセプが反米感情を一切持たないのも不自然でした。ソンジャとハンスの物語、そして、ノアとモーザスの兄弟の物語に焦点を当てて書き上げたら、もっと重厚でリアルなサーガになったと惜しまれます。
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日本人こそが読むべき小説だと思う。
在日コリアンへの差別が、日本の外でどのように奇異に映るのか、客観視できるから。
何より、ソンジャたち一家の目線で日本を見ることができる。温かく人間的なこの一家の一員となって。
「自分たちが知っている礼儀正しい日本人が、犯罪者だとか、怠惰で不潔だとか、あるいは攻撃的だとかいった在日コリアンに対するネガティヴなる固定観念」を持つこと。
日本の中だけで充満する在日コリアンへの奇妙な差別意識。
グローバル化により、内向きな日本人が、自分の国の奇妙な「常識」を客観視できるようになる可能性もあったのにこのコロナ禍…。
在日コリアンは、日本にとって、はじめての移民であると言ってよい。歴史の長い在日コリアンに対してさえこの差別。移民に対するこの拒否反応が、これからも続くとすれば、この少子化を乗り越えてはいけないだろう。
衰退する運命の国なのだなと思いつつ読み終わった。
架空の人物たちではあるが、この日本を捨てずに留まる結論を出してくれて感謝したい。ある意味、自分たちはもう日本人でもある、と言ってくれてありがとうと言いたい。
モーザスの言葉「ハンドルを調節するとこはできても、自分ではコントロールできない不確実な要素があり、そのことも心得ておかなくてはならない。何もかもあらかじめ定められているように見えて、その実、運まかせの要素や期待が入りこむ余地が残されたこのゲーム。」
人生はパチンコのようだが、それを受け入れるのが人生の宿命であり、醍醐味でもある。
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タイトルの『パチンコ』
いろんなものを象徴しているように感じた
文中にこんな一節がある
「人生はパチンコに似ている。ハンドルを調節することはできても、自分ではコントロールできない不確定な要素があり、そのことも心得ておかなくてはならない。
何もかもあらかじめ定められているように見えて、その実、運任せの要素や期待が入り込む余地が残されている」
コリアンであることをひたすら隠し、日本人になりたいと願い、日本人の中に紛れ込もうとしたノアが最終的に選んだ仕事、選ばざるを得なかった仕事?がパチンコ業
懸命に働くことによって、金を儲け一人前の男として認められ、尊重されることを願ったモーザスが自ら選んだのがパチンコ業
モーザスの一人息子ソロモンは、コロンビア大学を卒業し、イギリスの銀行に就職しながらも、結局利用され、解雇されて父のパチンコ業を継ぐことを決意
しかし、初めは、ヤクザと結びついたそれしか職業選択がなかったマイナスイメージのパチンコではあったろうが、世代が移り変わっていくにつれ、日本に根を下ろし、懸命に生き抜こうとしているコリアンの魂の象徴が、『パチンコ』であると思いたい
北朝鮮にも韓国にも愛着を抱けない。コリアンであることは貧困や恥ずべき家族のように振り解くことのできない足かせのようなものと感じ、ひたすら渡米を願った裕美
韓国に行けば日本人として扱われ、日本からは、滞在者として扱われる祖国を持たない宙ぶらりんの扱い
『日本は、こちらがいくら愛しても自分を愛してくれない継母に似ていた』という一節が、最後まで胸に突き刺さっていた
日本で生まれ何年も暮らしているのに、いつまで経っても在日コリアンという呼び名
いろいろ考えさせられた
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今となってはKポップ、韓国ドラマなど、韓国文化の人気はすごいけど、戦争世代が抱く在日コリアンへの差別偏見はこの本の通りなんだと思う。
日本にいると、ほぼ一民族・無宗教の国なこともあってこの本のようなことには気づきにくい。
移民であること、宗教の違い、言語の壁。 -
学生アパートで、まさによく学びよく遊んだ仲間がいた。
学校も学部もさまざまで、ついでに言えば経済環境もいろいろだったので、夜を徹した議論をしていても多面的な見方があるということがわかり、その後の人生に大きくていい影響を受けたと思う。
就職が視野に入ってきた頃、その中でも優秀で一目置かれていたひとりがスッと消えていった。
彼は在日でパチンコ屋の息子だった。
応募条件に日本国籍が明記されている時代だった。
風の噂で、親の後を継いでパチンコ経営者となったと聞いた。
この本を読んで、彼はいまどうしているだろうかと思いを馳せたが、連絡先もわからない。
自分が直接は知らない上巻の敗戦前のほうが興味深く読めた。
下巻に入ると、ちょっとリアリティーに欠けるところが見え隠れしてしまう。
もっと声高に日本人の在日朝鮮人差別を糾弾するような内容かと思っていたが、身近でも見聞きしたようなことが淡々と書かれているのが、かえってインパクトがある。
ニューヨーク・タイムズで、あれほど長い間ベストセラー・リストの上位を占めていたのに、こんなに翻訳が遅くなるのは不思議だった。
新大久保や川崎で日の丸や旭日旗を振り回している人たちにも読んでもらいたい。三行以上の文章は嫌いだろうけど。